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 時差ボケの為か早朝4時頃に目が覚めてしまった。ホテルのベランダから外を眺めると東の空がしだいに明るくなってきた。街中には木がたくさんあるのが見える。その木で鳴いているのか、シジュウカラ?の甲高い声が街中に響き渡っていた。この後どこへ行ってもこのシジュウカラ?の声を随所で聞くことになる。シジュウカラ?はこのあたりには多くいるようだ。早目に食事を済ませてホテルの周辺を散歩した。

 8時にバスに乗り込みホテルを出発。オーストリア国境が近づくにつれて雪をかぶったアルプスの山が見えるようになってくる。途中
ガルミッシュ・パルテンキルヘンの街外れでトイレ休憩をとる。1936年ここで冬季オリンピックが開催されている。ガルミッシュ・パルテンキルヘンとは随分長い名前だが・・・かつてヒトラーの命令でオリンピック開催地選定を有利にする為にガルミッシュとパルテンキルヘンの2つの町が合併させられた経緯がある。休憩をとった所にスキーのジャンプ台がある。このジャンプ台が当時冬季オリンピックで使われた台かどうかはわからない。

 国境を越えオーストリアに入る・・・と言っても以前の様な検問は一切ない。ここでもかつての検問所の小さい小屋があるだけ。オーストリアに入るとはそこはチロル州・・・チロルと言うとスイスと思いがちだが実際にはほとんどがオーストリア、一部がイタリアの領土なのだ。チロル州の州都インスブルックに向かう。

 インスブルック市内で現地ガイドのSさんをバスに乗せ、約15分で中世の名残りが随所に感じられるイン河畔の美しい町ハルへ到着。正式にはゾルバート・ハルと言う。「ハル」とは”岩塩”のこと。「ゾルバート」とは”塩の風呂”のこと。ここは塩分を含んだ鉱泉が湧き医療と療養の町。かつて中世以降この町は岩塩の採掘場として栄え大いに豊かであったと言う。塩は必需品であり、特に昔は高価な貴重品・・・日本でも戦国時代に越後の上杉謙信が甲斐の武田信玄に塩を送った話は有名。

 1306年に建てられたハーゼック城はチロル公でもあるハプスブルク家の神聖ローマ帝国皇帝マキシミリアンT世が結婚式を挙行した場所。マキシミリアンT世はチロルを愛し、公務の合間にはよく訪れたと言う。しかしながら政治の中心はウイーン、チロル地方とは西へ遠く離れている。馬車でウイーンから移動したのだろうが、当時どの位の日数を要したのだろうか?
 ハーゼック城内円形の塔ミュンテェントゥルムでは、16世紀から19世紀にかけてUSドルの語源となったターラー銀貨が鋳造されていた。銀貨を鋳造する機械は今でも残っており、注文すれば記念のメダルを作ってもらうことができる。ここの内部は博物館になっている。ミュンテェントゥルムは螺旋状の狭い階段をぐるぐる回りながら上ることができる。”高い所を見ると上がりたくなる”私は当然の如く塔の上部へ・・・。どこでもそうだが高い所から見る景色は素晴らしい。高層ビルなど視界を遮るものは何もない。近くに迫る山並み、眼下に広がる美しい街並み、どれを見ても感動する。

 ハーゼック城
を出て昼食の時間まで旧市街を散策する。石畳を歩くとアスファルトの道路を歩くのとは異なる風情を感じる。外を歩いていると日差しが強くとても暑いが、日本とは異なり湿度が低くカラッとして気持ちが良い。市庁舎・・・中世の趣きを残したとてもお役所とは思えない建物で周囲の街並みによく溶け込んでいる。聖ニコラス教会を見学し、レストラン SCHWARZER ADLER で昼食をとり再びインスブルックへ向かう。

 Sさんの案内で
インスブルックの旧市街を散策する。マリア・テレジア通りにある「凱旋門」の傍をバスで通る。徒歩で訪れる機会がなく写真は無い。ここは1765年にマリア・テレジアの息子レオポルトU世とスペイン王女ルドヴィカの結婚を記念し建てられたが、マリア・テレジアの夫ヨーゼフ・シュテファンはこの門を見ることなくこの世を去った。その為門の南側には”生と幸福”、北側には”死と悲しみ”のレリーフが刻まれている。マリア・テレジアは夫の死後、再びこの地を訪れることはなかったと言われている。

 バスを降りてマリア・テレジア通りを歩いていると、道路の中央に高くそびえ立つ大理石の塔「
聖アンナ記念柱」が見えてくる。スペイン王位継承戦争時バイエルン軍の攻撃を撃退したことを記念して1706年に建てられた。その名は撃退した日が”聖アンナの日”であったことに由来する。聖アンナはドイツの方を向き、手で侵入を制している。また柱の上部には聖母マリア、台座には聖アンナ、チロルの聖人が刻まれている。

 「
黄金の小屋根」はチロル領主マキシミリアンT世が1500年、自らの専用桟敷席として作らせた。2657枚の金箔を貼った銅版で作られた光輝く屋根が印象的。夜暗くなってから訪れるといっそう輝きが増して美しいそうだ。王はこの桟敷席で広場で行なわれる馬上試合や舞踏会を見物した・・・いわゆるロイヤル・ボックスである。現在は建物の合間に埋もれているのであまり目立たないが、当時はさぞや派手に光り輝いていたことは容易に想像できる。この建物内部はマキシミリアンT世博物館になっている。再び訪れる機会があれば博物館へはぜひとも行ってみたい。

 「黄金の小屋根」のすぐ近くに「
王宮」がある。1460年ジグムント公が建てた宮殿をマキシミリアンT世とフェルディナントT世がゴシック様式に改築。更に1754年マリア・テレジアが改築を開始、1773年ロココ様式の宮殿が完成した。前述の様に1765年インスブルックの王宮でマリア・テレジアの息子レオポルトU世とスペイン王女ルドヴィカの結婚が挙行されたが、その祝典の最中にマリア・テレジアの夫フランツT世は急逝。喜びの場が一転して悲しみの場に変わってしまった。王宮内にはマリア・テレジアの肖像画がある。夫亡き後マリア・テレジアは黒い服しか着なかったと言われている。

 王宮内部は華麗な内装が見事。どの部屋も家具、調度品、天井画が素晴らしく、タペストリーが人目を引きつける。食器がセットされたテーブルでは今にも王家の食事が始まりそうな錯覚を起こしてしまう。マリア・テレジアの「
謁見の間」も素晴らしい。遠くの壁にかかっているのはエリザーベトの肖像画。オーストリアの冬は厳しく、どの部屋にもストーブが置いてある。ストーブとは言ってもそこら辺にある無粋なものではない。ご覧の様にストーブとは思えない立派な調度品である。この様に部屋の片隅に置いてあることが多いが、たまに部屋の中央に置かれている。それでも全く違和感は感じられない。小さな部屋になにやら椅子の様なものが置かれている。これは椅子ではなく便器である。Sさんの説明を聞かなければ何だかわからなかったと思う。
 王宮見学後自由時間があり、近くの装飾品で有名なスワロフスキーの直営店へ行きネックレスなどを買う。店の近くに広場中央に山からひいてある水が常時出ている所がある。冷たくておいしい。空のペットボトルに水を入れて翌日以降の備えとした。

 バスに乗りホテル 
ALPIN PARK へ到着。インスブルック中央駅近くにあり、ホテルからはすぐ近くに山が見える。夕食はホテルのレストランにて。やはり同じホテル内での夕食は良い。外のレストランへバスで移動しての食事は時間ロスが多く、どうしても帰りが遅くなり疲れた体には少々辛い。
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