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 今日はウイーンまで移動するので8時と早めの出発。ヴァッハウ渓谷のドナウ河クルーズがあるのでどうしても晴れて欲しい日なのだ。気になって部屋の外を見ると雲が山にかかっているように見える。よく見ると山にかかっているのは霧、東の空には青空が見えて明るい。どうやら今日は良い天気になりそう。

 8時にホテルを出発し最初の目的地メルク修道院へ向かう。ザルツカンマグート地方は避暑地なので、夏のバカンスをこの様な場所ですごす人が多いのだろう。湖にはヨットが係留されているところもある。天気の良い日にこの様な所でヨットに乗って風を切ったらさぞや気持ちが良さそう。但し日差しが強いので日焼けは必至。

 10時45分メルク川のほとり小高い丘の上にある
ニーダーエステライヒ州ベネディクト派修道院通称メルク修道院へ到着。雲がすっかりとれて快晴、日差しがとても強くまぶしい。バロック様式の修道院は規模がとても大きく、東西に320mの奥行き、高さ65mの双塔を有する。

 もともとここはバイエルン貴族シッツオの所有で、”城塞メルク”と呼ばれた。レオポルトT世の時代にバーベンベルク家の所有となる。1089年レオポルトU世はベネディクト派の修道士をこの地に呼び寄せ、これが後の修道院の礎となった。バーベンベルク家はこの修道院の為にローマ教皇の保護と教区からの独立を獲得して修道士達へ寄贈する。その後宗教改革やオスマン・トルコの侵攻などで一時衰退したが、1745年頃現在の姿に再建された。1770年にマリー・アントワネットがルイ]W世に嫁ぐ為フランスに向かう途中、この修道院に一泊したそうだ。

 正面入り口の門をくぐると、中は
広場(聖職者広場)になっていて噴水がある。たまたま中庭を神父さんが通りかかったので(密かに)写真を撮らせてもらった。修道院内部に入り、196mある長い廊下に沿って左側の部屋を見て回る。18世紀に再建されたので中世の古めかしい感じはないが、豪華な装飾と美術品の展示に目を奪われる。突き当たりの見晴らしの良いバルコニーへ出る。そこからは眼下に広がる景色が遠く見渡せる。左手にはメルクの街並み、遠くにはドナウ川が見える。素晴らしい好天の下で素晴らしい景色を堪能した。
 先ほど来たのと反対側にある部屋を見ながら出口へ向かう。9万冊の蔵書と1850冊の手書きの本を収納した図書館がある。宗教学、哲学、法学、自然科学など広範な分野に及んでいる。15世紀にグーテンベルクが印刷技術を発明し、この様に大量の本の作成が可能になった。手書きの本が展示されていたが、整然と書かれているので活字の様に見えてとても手書きとは思えなかった。

 
出口近くに教会がある。教会に一歩足を踏み入れるとその豪華さに圧倒される。室内には見事な大理石と金の彫刻、フレスコ画などで満ち溢れている。ところで金の装飾は表面だけで内部は木とのこと。この教会内部で使われた金は僅か4Kgにしかすぎない。木彫りの彫刻の上に赤い塗料を塗り、その上を金箔で覆っている。何故赤い塗料なのか?赤の上でないと金色がくすんで見えるそうだ。主祭壇は1733年ガリ・ビビエナの設計による。3553本のパイプオルガンは1970年に新しく作られた。

 修道院を出て近くにある簡素な
庭園へ行く。左右対称に作られた庭は特に目立つ感じではないが、のんびりと落ち着いて歩くことができる。
 13時45分発ドナウ河クルーズ船に乗る為に船着場へ向かう。全長2826Kmのドナウ河はオーストリア国内を約360Km流れている。その中でも最も美しいのが、今日クルーズを楽しむメルクからクレムス間全長約36Kmのヴァッハウ渓谷である。険しい岩山には古城や修道院が、またなだらかな葡萄畑の中には美しい集落が現われる。その変化に富んだ景色の移り変わりは見る人を飽きさせることはない。

 船着場に着くともう既に遊覧船の乗船が始まっている。我々も
Prinz Eugen号に乗り込む。3Fには天井がなく風を切って気持ちが良さそうだし見晴らしも良い。3Fの椅子席は満員で後から来た人は座るところもない。「晴れてて良かった!」・・・本当にそう思う。これからの1時間45分の船旅が楽しみだ。

 定刻にクルーズ船は出航、ゆっくりとクレムスへ向けて走る。座っていると景色を見るにも写真を撮るにも不自由で仕方がない。そこで出航してから5分位して一番前に行くと、操舵室があり見晴らしも良いし人も少ない。下船時までそこで船からの眺めを充分に堪能した。振り向くとガラス越しに少年がいたのでCameraを向けた。デジカメの画像を見せたら親指を立てて喜んでいた。途中別のツアーの日本人の方としばらく一緒に話をした。我々と似た様なコースだが、今日はデュルンシュタインで降りて観光後クレムスに1泊してウイーンへ向かうと言う。この方とは
後日ウイーン国立歌劇場の近くでばったり会った。

 出航してまもなく右岸に硬い岩盤の上に立つ
シェーンビュール城が見えてくる。40mの高台に建つ城は19世紀に築かれたが、川に突き出した部分は中世の要塞跡。右岸の山頂にアックシュタイン城が見えてくる。この城は13世紀末に破壊されたが、15世紀に盗賊騎士シュレッテンワルダーが再建した。シュレッテンワルダー捕虜たちを次々と谷底に突き落としたという伝説が残る。その後オスマン・トルコにより破壊され廃墟となった。最初の寄港地シュピッツに到着。左岸にザンクト・ミヒャエル教会が見える。
 シュピッツを出航後まもなくヴァイセンキルヘンの街が見えてくる。集落の中央に中世の要塞教会がある。要塞と言うだけあって頑丈そうな高い城壁の上に築かれている。政情不安な中世においては、教会にもやはりこの様な備えが必要だったのだろう。教会の裏手の緩やかな斜面は一面葡萄畑になっている。次の寄港地デルンシュタインが見えてくる。

 デルンシュタインの手前の山頂に
クエンリンガー城跡がある。デジカメを拡大して画面を見ると、廃墟となった城跡に人が立っている様にも見える。イギリスのリチャードT世(獅子心王)が十字軍第3回遠征から帰国する途中に幽閉されたのがデルンシュタイン城である。リチャードは十字軍遠征で武功をあげたが、1192年末遠征からの帰途オーストリア公レオポルトの名誉を傷つけたとして囚われる。1194年巨額の身代金を皇帝ハインリッヒY世に支払い釈放された。

 デルンシュタインの街中に
青と白の目立つ高い塔がある。15世紀に創建された17世紀にバロック様式に改築されたユーアヘレン(聖堂参事会員)修道院で、その絵画的な風景はヴァッハウ渓谷クルーズで最も美しいと言われる。たしかにこの風景は私の脳裏に鮮明な印象として焼き付けられている。ここはもう一度見たい風景の一つ。
 15時半クレムスへ予定通り到着。先回りしていたバスに乗り込み一路ウイーンへ。16時45分今日から3連泊するホテル ASTORIA へ到着。 ホテルが国立歌劇場の近くにありケルントナー通りの面しているのでどこへ行くのも便利。コンツェルト・ハウスにてコンサート鑑賞するので早めに夕食を済ませる。

 
19時半にバスで
コンツェルト・ハウスへ向かう。ここは1913年に完成し、外装はモダンな世紀末建築を意識している。内装も見事なものだ。さすが本場の雰囲気は違う。今晩出演するウインナー・モーツアルト・オーケストラは1986年に結成され、30名の団員がロココ調の服装で主としてMozartの楽曲を演奏している。国立歌劇場、楽友協会、コンツェルト・ハウス、ホーフブルク大広間などの大ホールで演奏活動を行なっている。

 ちょうど真ん中付近の席で舞台で演奏する団員の顔もよく見える。演目はMozartのオペラ「魔笛」、「ドン・ジョバンニ」、「フィガロの結婚」の楽曲から、またクラリネット協奏曲、交響曲第40番などなじみ深い曲ばかり。歌い手もオペラの衣装で現われ雰囲気を盛り上げる。コンサートも和やかな雰囲気で気軽に聴ける。アンコールは2曲、1曲目はヨハン・シュトラウスの「美しき青きドナウ」、
次はヨハン・シュトラウスの「ラデツキー行進曲」が・・・指揮者が観客の手拍子を催促し全員大合奏でコンサート終了「ラデツキー行進曲」と言えば、お正月恒例のウイーン・フィルのニューイヤー・コンサートのフィナーレは、必ずこの曲に合わせて手拍子の大合奏で終わる。 ここへ来る直前に「楽友教会のウイーン・フィルのニューイヤー・コンサートで手拍子をするのが夢」と語っていたYさんは大感激。明日またこの感激をYさんが味わうとは・・・!この時は思いもよらなかった。
 22時半にバスでホテルへ戻る。かくして長〜〜い1日は終了。
(注)画像をクリックすると、
   大きな画像が表示されます。
オーストリア旅行記