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 今日は1日自由行動、ベルヴェデーレ宮殿とホーフブルク(王宮)を訪れる予定。ベルヴェデーレ宮殿が10時からなので、その前にフィガロハウスを見ることにする。ホテルのロビーでYさん夫婦と偶然出会い今日も同行することになった。

 ケルントナー通りを歩いてシュテファン大聖堂の前に出る。フィガロハウスがこの近くにあることまでは分かったがなかなか見つけることができない。どうもフィガロハウスに行ってきたらしい日本人を見つけ場所を確認した。曲がりくねった路地の奥に目立たない所にある。歴史的建造物などを示す旗が見えたので、ようやくたどり着くことができた。


 フィガロハウス(モーツアルト記念館)は1784年から1787年にかけてMozartが住んだ家で、この時代がMozartにとって最も幸せな時代と言われる。 ここで『フィガロの結婚』が作曲されたのでフィガロハウスと言われる。Mozartはウイーン時代に11回引越しをしたが、現存する建物はここだけである。 階段を上がるとちょっと見ると何だか分からない地味な入り口がある。そこを入ると自筆譜、書簡、肖像画などが展示されている.

 
ウイーン国立歌劇場前からトロリーバスに乗りベルヴェデーレ宮殿へ向かう。ベルヴェデーレとはイタリア語で”美しい眺め”を意味する。バスに乗っている時は気がつかなかったが、リングからは緩い上がり勾配になっている。ここからのウイーン市内の眺めも素晴らしい。ハプスブルク家の宰相として絶大な権勢を有したプリンツ・オイゲン・フォンサヴォイ公(オイゲン公)の離宮として、1716年に下宮、1723年に上宮が建てられた。設計はヨハン・ルーカス・フォン・ヒルデブラントによる。上宮と下宮の間にはなだらかな斜面を利用したフランス式庭園が広がっている。庭園中央には池と噴水があるが、何故か水がはられていないので何やら殺風景。やはり池には水がはられ噴水が吹き上げていないと、いささか興ざめな感がする。尚古地図を見ると、創建当初はもっと広大な敷地を有していた。

 
オイゲン公はフランスのサヴォイ家の出身で、もともとはブルボン王朝のルイ]W世への出仕を望んでいた。詳しい事情は分からないが、ルイ]W世に嫌われたのか仕官がかなわなかった。そこでオイゲン公はフランスを離れ、1683年当時敵対関係にあったハプスブルク家の都ウイーンに移り住んだ。ハプスブルク家に仕官したオイゲン公は、オスマン・トルコによる第2次ウイーン包囲戦、スペイン継承戦争でのバイエルン軍/フランス軍との戦いなどで多大な功績を挙げた。オイゲン公はハプスブルク家の特使としてヴェルサイユ宮殿に乗り込み、かつて自分を足蹴にしたルイ]W世に謁見したと言う。オイゲン公のこの時の想いは如何なるものだったのだろうか?「してやったり」とさぞや溜飲を下げたことだろう。一方ルイ]W世はさぞやおもしろくなかったことだろう。

 オイゲン公はレオポルトT世、ヨーゼフT世、カールY世の3代の皇帝に仕え、皇帝から絶大な信頼を得ていた。オーストリア領ネーデルランド総督でもあり、ここからの収入で宮殿と庭園の莫大な造営費用を賄うことができた。オイゲン公は芸術や学問への造詣が深く、当時の知識人のモンテスキュー、ボルテール、ライプニッツなどとの交流があった。


 1736年にオイゲン公が亡くなると、数年を経て宮殿と庭園はハプスブルク家の所有となり美術品コレクションが置かれていた。1891年にこれらの美術品は美術史美術館に移された。その後皇太子フランツ・フェルディナントが1914年サラィエボで暗殺されるまでここへ住んだ。第1次世界大戦でのオーストリア帝国崩壊後、現在は上宮は19・20世紀絵画舘、下宮はバロック美術館として一般に公開されている。

 
今回は上宮でグスタフ・クリムトやエゴン・シーレなどの絵画を見た世紀末芸術を代表すグスタフ・クリムトの独特の絵は何処から見ても一目でわかる。ここには代表作の『接吻』、『ユディットT、U』、『フリッツア・リトラー』、『水蛇T』などが展示されている。クリムトと聞くとあの何とも言えないなまめかしささえ感じる絵が思い浮かぶ。一方では「ひまわりの咲く農家の庭」などの風景画を残しており、クリムトの別な側面を垣間見た様に思える。

 
エゴン・シーレも世紀末芸術の代表者の一人で、クリムトとは対照的にその絵は暗く重苦しい感じさえする。特に28歳で亡くなる1918年にシーレの最晩年に描かれた『家族』には、ついに得ることができなかった幸せな家族への想いが滲み出ている。妻エディットがお腹にシーレの子を宿したまま当時流行したスペイン風邪で死亡する。この絵にはシーレ自身と妻エディット、それに中央下部にこの世に生を得ることがなかった子供が描かれている。
そして3日後シーレ自身もスペイン風邪で死んでしまう。その様な悲劇的な出来事をことを踏まえてこの絵を見ると胸がつまる想いがする。

 ここには
フィンセント・ファン・ゴッホの『オーヴェールの草原』、エドワルド・ムンクの『浜辺の夏の夜』、ルノワールの『入浴の後』などの名品も展示されている。美術史美術館もそうだったが、ここも再度訪れもっと時間をかけて見たい。やはり実際に現地で生で見ると、その感動は筆舌に尽くし難いものがある。

 いったんホテルに戻り軽く昼食を済ませ、フロントで14時に待ち合わせでホーフブルクへ向かう。アルベルティーナ宮殿近くの出入り口から
王宮庭園に入る。ここはもともと城壁だったが、ナポレオンの侵攻時に破壊された。その後現在の様な庭園に改装された。草木や芝生の緑が美しく、木陰で涼んでいる人達もいる。リング寄りに皇帝フランツ・ヨーゼフT世の像がある。うつむきかげんの皇帝が何やら寂しげに見えるのは気のせいだろうか?オーバンリングに面してドイツの文豪ゲーテの像がある。椅子に座り堂々としていかにも”巨人”の風格が出ている。リングを挟んでゲーテ像の反対側に、ドイツの文豪シラーの像がある。

 王宮庭園の一角には
Mozart像が立っている。像の前には季節の花がト音記号の形で植えられている。前回訪れた時もそうだったが、赤い花(ベゴニア?)が綺麗に咲いている。緑の芝生に赤い花が映えて美しい。

 ブルクリングに面した
ブルク門をくぐると広いヘルデン「英雄」広場に出る。広場に面して左手に旧王宮、右手に新王宮がある。この広場には2つの騎馬像があるが、左手がカール大公、右手がオイゲン公の騎馬像。

 ホーフブルク(王宮)は旧王宮、新王宮、スイス宮と2つの庭園など24万Kuの広大な敷地を有する。
旧王宮は1220年頃に初めて建てられ、以降歴代のハプスブルク家の君主が増改築を繰り返し最終的に2600室を越える大宮殿となった。16世紀にフェルナンドT世によりルネサンス様式に改築され、18世紀前半のカールY世まで居城として使われていた。新王宮はリング整備の際、1881年から1916年にかけて、カール・フォン・ハゼナウアーとゼンパーオペラ座の設計者ゴットフリート・ゼンパーによりネオ・バロック様式で建てられた。アーチ型の建物の中央上部には、ハプスブルク家の紋章『双頭の鷲』が大きく翼を広げておりまるで威嚇している様だ。
 英雄広場を抜けて旧王宮へ向かう。旧王宮中庭には皇帝フランツT世の像がある。ミヒャエル門の近くに、1735年カールY世が創設したスペイン乗馬学校がある。ウイーン・フィルのニューイヤーコンサートでおなじみのここのホールで、白馬の一糸乱れぬ見事な演技を一度見てみたい。

 ミヒャエル門
近くの入り口から
宮廷銀食器コレクション展示室に入る。ここにはハプスブルク家が実際に使用した豪華な陶磁器と銀食器が展示されている。特に陶磁器はヨーロッパの名窯で最高の技術で作られた名品がずらり揃っている。マリー・アントワネットからマリア・テレジアに贈られたセーヴルの食器、ヴィクトリア女王からフランツ・ヨーゼフT世夫妻に贈られたミントンの磁器など・・・どれ一つとして同じものはないそうだ。これらの名品を実際に食卓で使っていたとは・・・我々凡人には想像もつかない。その数の多さとあまりの素晴らしさに、思わずその場に釘付けになった。
 2004年4月フランツ・ヨーゼフT世と皇后エリザベト成婚150周年記念日に、旧王宮内シシィ博物館が開館した。ここにはエリザベトに愛用の品などが展示されている。ドレスのウエストの細さには「こんなに細かったのか!」と驚いた。1889年10月スイスのレマン湖畔でエリーザベトが暗殺された時に着ていたドレスも展示されていた。左胸に刺し傷がありドレスが破れている。暗殺に使われたナイフも展示されていたが、刃渡り10cmあるかないかの小さなナイフだった。

 現在旧王宮のフランツ・ヨーゼフT世夫妻が使用していた
22室が「皇帝の部屋」として常時公開されている。「
皇帝の寝室」、「皇帝の書斎」、「謁見の間」、「皇后の居間と寝室」、「ダイニング・ルーム」など・・・。「化粧室」にはエリーザベトが実際に使っていた健康器具がある。常に美容と健康に注意していて野菜とジュースのみの食事、そして見事なプロポーションを保つ為に美容体操をかかさなかったと言う。

 
スイス宮には王宮宝物館があり、神聖ローマ皇帝の帝冠や1602年に作られたルドルフU世の王冠などハプスブルク家に代々伝えられた豪華な財宝を見ることができる。王宮礼拝堂には日曜日、及び宗教的祝日に、ウイーン少年合唱団を含む王宮付属聖歌隊の美しいメロディーが流れる。一度は荘厳な雰囲気の中で聴いてみたいものだ。

 
新王宮には古楽器博物館があり、Mozart、Beethoven、Lisztなどが弾いていた楽器や、古い鍵盤楽器、弦楽器など珍しい楽器が収蔵されている。新王宮にはこの他にも中世武器博物館民俗学博物館パピルス博物館など見どころがたくさんある。ホーフブルクもまだまだ見る所がたくさん残っている。やはり今度は個人旅行でウイーンに来なければ・・・。

 シュテファン大聖堂近くのコンビニで夕食を買い17時すぎにホテルへ戻る。ゆっくりと夕食を食べ18時45分頃ウイーン国立歌劇場にてTicketに交換する。当初ここでオペラを見る予定はなかったが、Mさんが「今回来られなくなった人が予約していたウイーン国立歌劇場のTicketがあまっています。どなたか希望者がいればお譲りします。」とのこと。ちなみにTicketの料金は127Euro、日本円で17000円ほどする。誰も行かないで無駄にするのはもったいないし、それにホテルがすぐ傍でもあり購入することにした。

 演目は
グノー作曲の『ロミオとジュリエット』で、原作はむろん文豪シェークスピア。座席は前から5列目のほぼ中央で、指揮者や歌手の顔が良く見える絶好の位置。前回は天井桟敷でしかも舞台半分が見えないというどうにもならない位置だったが、今回は言うことなしの最高の席だ。開演前に広い場内を見渡すと満員の観客で埋め尽くされている。

 指揮者が登場しいよいよ開幕。奥の深い舞台の隅々までよく見渡せる。主役ロミオ役の歌手は今売り出し中のビッグな歌手とのこと。妻は「この歌手はTVで見て知っている」と大感激。もう一人の主役ジュリエット役の歌手も今度来日するトップ歌手とのこと。日本人歌手も一人出演し、プログラム・リストに名を連ねている。本場ウイーンの、しかも国立歌劇場に出演するのはとてもたいへんなこと。競争の激しい世界でよくぞ勝ち抜いていると思う。

 席の前には小さなDisplayがあり英語の翻訳が表示される。舞台で何を言っているのかさっぱり分からないが、英語の翻訳があるのである程度分かる。オペラ歌手の声量はすごい。舞台と観客の間にオーケストラピットがあり、そこを越えて館内に歌手の声が響き渡る。まさに人間の体が楽器そのものだ。歯切れよい展開に引きずり込まれ夢中になって見る。途中20分ほどの休憩を挟み約2時間半で公演が終了した。

 カーテンコールでは盛大な拍手が何度も続き、出演者、それに指揮者も何度も舞台に現われる。2Fのボックス席からは花束が歌手ぬ向かって投げ込まれる。素晴らしいオペラの余韻に浸りながら国立歌劇場を後にした。
機会があれば何度でも良い席でオペラを鑑賞したい

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