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 今日はいよいよ最終日、午後4時のホテル出発までフリータイム。今日は良く晴れて歩き回るには絶好のコンディション。朝食を済ませバスで市内に向う。最初の目的地のアンドラーシ通りにあるリスト記念館へ。エルジェーベト橋のバス停で降りて、地下鉄に乗るべくデアーク・フェレンツ広場を目指した。中央郵便局に立ち寄り記念切手を買い求める。 窓口で「I would like to buy extra stamps.」と言ったが通じない。困っているとたまたま傍にいた現地の中年の女性が助け舟を出してくれて局員に通訳してくれた。たくさん記念切手を出してくれたが、どれも綺麗なので全て買った。約8000ft位支払ったので手持ちのftが少なくなり、両替所を探して日本円をftに替えた。街中には両替所がたくさんあり、交換レートの看板が出ている。いくつかの両替所を比較したが、交換レートにほとんど差はなかった。

 昨日ヴァーツィ通りやアンドラーシ通りをジョージさんの案内で歩いたので、このあたりの道を覚えたつもりでいた。ところが途中で曲がる所を間違えたらしく、道に迷い地図を見ながらうろうろしていた。すると突然犬を連れた現地の女性に流暢な日本語で声をかけられた。「地下鉄に乗ってリスト記念館に行きたい」と話すと、親切にも聖イシュトバーン教会近くの地下鉄乗り場まで案内してくれた。彼女に話を聞くと、以前ご主人が日本の国立音楽大学でヴァイオリンを教えていて日本に滞在したことがあるとのこと。日本人が二人、地図を広げてうろうろしていたので、日本を思い出して懐かしかったそうだ。彼女によく御礼をして地下鉄に乗りリスト記念館に向かった。

 地下鉄1号線のヴェレシュマルティ・ウッツァで降り、リスト記念館を探すがなかなか見つからない。住所を頼りに探してようやく見つけた。アンドラーシ通りから脇道を少し入った所に入口があるが、これがまた極めて地味な表示でうっかりすると見逃してしまいそう。特に看板があるわけではなく、よく見ると入口のドアにたしかに「
リスト博物館」と小さく書いてある。

 現在リスト記念館になっている所はリストが晩年ブダペスト滞在中に住んだ家で、以前ここはリスト音楽院として実際に使われていた。入口で「May I take a photo in this museum?」と尋ねると、「Photo ticket please and no flash OK.」との返事。Photo ticketも合わせて買った。入場料が100ft、Photo ticketが200ft、合計300ft。2階角の住居5室の内、サロン、食堂、寝室兼仕事部屋の3室が公開されている。実際にリストが弾いたベーゼンドルファーのグランドピアノ、旅行用に持ち歩いたピアノ、家具などの調度品、肖像画などが展示されている。実物大のリストの右手の彫像がある。リストの手が大きかったことは聞いて知っているが、実際に見るととても大きいことがよくわかる。入口には「火、木、土の3時から4時の間は在宅」と書かれたプレートがある。120年位前にここに実際リストがいたと思うと不思議な感じがする。今でも「ストさん」と呼ぶと返事がある様に思えてしまう。次回訪れる時は、バルトーク記念館やコダーイ記念館にも行ってみたい。

 再び地下鉄に乗り
デアーク・フェレンツ広場へ戻る。 ヴァーツィ通りをゆっくりと南下し、エルジェーベト橋近くを通り中央市場へ。パンと飲物を買いベンチに座って昼食をとる。紙パックに入ったジュースが120ft、パンが2個で180ft、大きなパンで余ってしまった。ハンガリーはまだまだ物価が安い。ところで、自由橋は1896年に建国1000年を記念して建てられた。最初フランツ・ヨーゼフ橋と命名されたが、ハンガリー国民に人気にない皇帝フランツ・ヨーゼフの名は抹消されてしまった。 一方、1本上流に架かっているエルジェーベト橋、名前の由来は皇帝フランツ・ヨーゼフの皇后エリザベート。ハンガリーを愛した彼女は国民からも慕われ、ここにも名を残している。ブダ側のたもとにはエリザベート妃の像がある。 皇帝フランツ・ヨーゼフはハプスブルク家最後の皇帝、どこまでも不遇なラストエンペラーなことか

 中央市場から歩いて5分位の所にハンガリー最大の博物館、
国立博物館がある。正面入口にはギリシャ神殿をほうふつとさせる白い高い柱がそびえ立つ。1846年に建てられたネオ・ゴシック様式の美しい建物。残念ながら建物内部は撮影禁止。中央の立派な階段を上がると、古代から現代までのハンガリーの歴史が時系列に展示されている。11世紀の聖イシュトバーン以降受け継がれてきたハンガリーの王冠が特別室にあるはずなのだが見当たらない。そこで、近くにいた館員にガイドブックに載っている王冠を示して「I want to see this monument. Please tell me where it is.」と尋ねた。しかし通じないらしく、何を言っても「NO」。仕方なくあきらめたが、エメラルドやサファイアに飾られた素晴らしい王冠なので次回訪れる時には必ず見たい。

 いったんホテルに戻り、バスで
ブダペスト・フェリヘジ空港へ向かう。空港でタックス・リファンド手続きをする時に一悶着あった。付加価値税払い戻しの書類にスタンプをもらう時、私も含めてほとんどの人がすんなりとスタンプを押してもらった。ある人が何故か書類不備とかで却下された。同行の現地ガイドとAさんの二人で懸命に交渉したが、税関の検査官はダメの一点張り。ラチがあかずとうとう諦めることになった。私も2枚の書類を見せてもらったが、2枚の伝票の金額をたすと充分に適用金額を超えていて店のサインもあり問題はなかった。税関の検査官が言うには各々の伝票が適用金額を超えていないのでダメということらしい。不可解に思い後日知り合いに確認したが、同一店舗で同一日の購入金額が適用金額以上であれば伝票が複数あっても問題はないとのこと。まあ自分がトラブルに巻き込まれずに良かったということか。

 定刻にブダペストを離陸、乗り継ぎのパリのCDG空港へ向かう。CDG空港で先ほどスタンプをもらったタックス・リファンドの書類を交換所に提出し付加価値税の払い戻しを受けた。午後11時30分にAF286便で一路日本へ。

 午後6時定刻に成田空港へ到着。日本はまだ残暑が厳しくEuropeとは異なる。Baggageを受け取り解散後、リムジンバスで横浜へ行きそこから小田急線で帰宅。

 今回プラハ、ウイーン、ブダペストを中心に巡ってきた。プラハ、ブダペストはそれなりにいろんな場所を回れたと思うが、ウイーンはシェーンブルン宮殿内の見学なし、美術史美術館を見学なしなど物足りなさが残った。またオペラの本場で良く知っているオペラを最高の席で見たい。欲求不満解消の為にもウイーンへはまた行きたい。2003年にはドイツ、オーストリア方面への旅行をぜひとも実現したいと考えている。

 (注)2003年7月には南ドイツ、ロマンティック街道を旅した。2004年はオーストリア一周を計画している。更にハンガリー一周、ドイツ北部、スペイン、フランス、イタリアなどと夢は広がる。

 最後にツアーコンダクターのAさんに感謝の意を表し、中欧旅行記 【華麗なる東欧 4ヶ国周遊】 を閉じる。


9月26日(土) ブダペスト(晴れ)、日本(晴れ)
中欧旅行記(2002.09)

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