直線上に配置
 チェコは東部のモラヴィア、西部のボヘミアに分かれる。オロモウツはモラヴィア地方にありプラハの東方約200Km、ブルノの北東約60Kmに位置する小さな町・・・そんなに有名な町ではないが、プラハについでチェコ国内第2位の文化財を有している。たしかに街中も観光客は少なく地味な印象を受けるが、文化財は狭い範囲に集中しているのでゆっくり落ち着いて見ることができる。2000年に聖三位一体像は世界遺産に登録されたが、同時に申請されていた6つのバロック様式の噴水は登録が認められなかった。

 10世紀頃に作られたオロモウツは30年戦争(1618年〜1648年)で大きな被害を受け侵攻したスウエーデン軍により更に被害は拡大した。18世紀になり復興が始まり、旧市街にはバロック、ゴシック、ロココなど様々な様式の建物が並ぶ美しい街並みになった。

 今朝も朝食後出発まで時間があるので散歩に出る。ホテルと道路を挟んで反対側に何やら立派な建物がある。昨日Iさんがホテルのフロントで『
裁判所と刑務所』と聞いたそうなので確かめることにした。信号を渡り建物の側面に回り込むと窓には鉄格子、それに高い塀がありまさしく刑務所そのもの。道路沿いにも囚人が留置されている部屋があり、人通りに面しているのでその気になれば囚人と話すことができそう・・・。鉄格子越しに窓の方を見ていたらその奥に男性がいるのが分かった。ここにどの程度の罪を犯した罪人が収容されているか分からないが、それにしても何と大らかな雰囲気なんだろうと感じた。ちなみに正面の立派な建物は裁判所でその奥に刑務所がある。

 少し先に
スメタナ公園がある。緑の木々と鳥に花、とにかく広大な公園でゆっくり散策していると時間の経過を忘れてしまいそう・・・。出発の時間が迫ってきたのでほどほどに切り上げてホテルに戻る。

 ガイドのルーシーさんとホテルで合流し街中観光に出発。ホテルのすぐ傍に12世紀頃に作られた周囲3.5Kmの城壁の名残りがある。城壁は18世紀に女帝マリア・テレジアの指示で市街拡張の為に取り壊された。

 ホテルから歩いてすぐ旧市街の中心
ホルニー広場に出る。ここで真っ先に目に飛び込んで来るのが聖三位一体の碑・・・1716年から1754年にかけて建てられたバロック様式の高さ35mの碑で、当時Europeに流行したペストを乗り越えた記念とのこと。碑の一番上には金色に輝く十字架を持つ人物像がある。この碑には51の聖人像があるが、いくら暇人な私でも数える気にはならなかった。階段を上がってすぐのところに狭い礼拝堂がある。中を覗いたがごく普通のお堂だった。1754年の完成式典にはマリア・テレジアが参列している。

 
聖三位一体とは・・・。本質はひとつである神を、「父(神)」「子(キリスト)」「精霊」という三つの各位から成されるものだと位置付けるキリスト教の根本的な原理

 ホルニー広場近くの路地を入ったところに何やら味気ない無粋な石造りの建物があるが、これは社会主義時代に建てられたPRIOR(プリオール)と言うデパート。周りの風景との調和も何も考えないで建てたのだろう。今となっては簡単に壊して改築ともいかない。

 PRIORの角を右に曲がると2本の尖塔がある
聖モジツ教会が見えて来る。13世紀半ばにロマネスク様式で建てられ、その後15〜16世紀にゴシック様式、17〜18世紀にバロック様式で増改築され現在の姿になっている。1745年に作られたパイプオルガンは世界的に有名で、毎年9月に国際オルガンフェスティバルが開催されている。この教会の塔も大人15チェココルナで上がれる。他のサイトで写真を見たが見晴らしが良く素晴らしい眺め・・・残念ながらここはパス。

 ホルニー広場の中央には1444年に創建、1474年に後期ゴシック様式、1539年にはルネサンス様式で増改築された高さ76mの塔を有する
市庁舎がある。1995年に改修されて現在の姿になっているが、当時の姿をよく留めていると言われる。76mの尖塔のすぐ下に天文時計がある。毎正時にはからくり人形が動いて時を告げるがその動きは地味。 もともとは聖人の行列だったが、共産主義の時代に労働者の姿に変えられてしまった。また下の方にも労働者の姿が壁面に描かれているが元はなにが描いてあったのだろうか?この様なところにも旧社会主義時代の痕跡が残っている。今ではチェコの人達は”社会主義時代の遺物”をどの様に思っているのだろうか?良いイメージがあるとは思えないが・・・。
 オロモウツには6つの噴水があるが、ホロニー広場にはヘラクレスの噴水(1688年)カエサルの噴水(1725年)がある。ちなみにカエサルは有名なローマ皇帝ではなく、伝説上のこの町の創始者とのこと。この2つの噴水の他には、トリトンの噴水(1709年)、メルキュールの噴水(?)、ネプチューン(1683年)の噴水、ジュピターの噴水(1735年)がある。

 狭い入り組んだ石畳を暫く歩き共和国広場に出る。
聖ヴァーツラフ教会の2本の高い尖塔(ネオ・ゴシック様式)が見えるが今回は行かなかった。少し歩くと聖ヤン・サルカンデル礼拝堂があるが、締まっていて中に入れなかったが入口から中を眺めることができた。ここは15世紀初めから牢獄として使われていた。18世紀に礼拝堂として使われる様になり20世紀の初めネオ・バロック様式に改築された。15世紀チェコはポーランドと戦争状態にあり占拠したポーランド軍への協力を拒んだヤン・サルカンデルは拷問により殺された。1995年当時のローマ法王ヨハネ・パウロU世がオロモウツを訪れた時聖人に列せられた。

 次はバロック様式の
聖ミハル教会へ。13世紀にはドミニコ修道会の教会だったそうだ。その後一旦ゴシック様式に改築されたが、17世紀にバロック様式に再改築された。ここの丸天井の絵画はフェルディナント・ナボトにより描かれている。天井から差し込む日の光が神々しく幻想的で荘厳な感じを醸し出していた。ここにも豪華な装飾のパイプオルガンがあるが、教会内は重厚で素晴らしい音色が響き渡ることだろう。
 聖ミハル教会に隣接してゴシック様式の聖アレクシウス礼拝堂がある。13世紀にはドミニコ修道会がありその後大学として使われていた。昨日Iさんとこの辺りを歩いた時に、この建物の正面にチェコ語で何か書いてあるが分からない。ただ英語の”Institute”に似た単語があるので「大学かな?」と推測していた。礼拝堂の前にチェコの国産車『シェコダ』が止めてあった。ところで『シェコダ』とは”残念”を意味する。それにしても車のネーミングにこの様な単語を選ぶとは・・・。

 ドルニー広場には聖マリアン碑、ネプチューンの噴水がある。
聖マリアン碑は18世紀に建てられた『ペスト柱』、この碑の聖人像の一つに日本で有名なフランシスコ・ザビエル像がある。この広場の奥には17世紀に建てられたイエズス会の聖カテジナ教会がある。そう言えばフランシスコ・ザビエルはイエズス会に所属していた。「何故ここにフランシス・ザビエルの像がある?」といぶかしく思ったが、イエズス会と聞いてなるほどと納得した。

 再びホルニー広場に戻り
アリオンの噴水を傍を通る。18世紀には既にこの噴水の構想が出来ていたそうだが、実際に作られたのは2002年とは・・・何とも気の長い話。ちなみにアリオンとはギリシャの詩人。

 ホテルに戻りトイレ休憩後バスに乗り込み、11時15分次の目的地テルチへ向かう。途中バスの中でルーシーさんからチェコの様々な話を聞いた。印象に残っているのは社会主義時代の大変だった話・・・「バナナが食べられるのはクリスマスの時だけ」、「チョコを初めて食べたのは19歳」、「自由度はなくいろいろ制限が厳しかった」などなど。その様な話を聞くと社会主義っていったい何?との疑問が更に募るばかり・・・。結局権力者が共産主義、社会主義の都合の良いところだけをつまみ喰いして独裁政権を樹立していただけでは?今でも現存するどこぞの国の様に・・・。

 2時間半ほどして
テルチへ到着。街中にバスが入れないので駐車場で降りて徒歩で旧市街へ向かう。まずはウ・サヴァリアッシュ(サヴァリッシュは15世紀の貴族/領主の名前)で昼食、午後2時を過ぎさすがにおなかが空いていた。メイン・ディッシュは”ローストダックのキャベツ煮とクネドリキ添え”・・・これがまたすごいVolumeでとても食べきれるものではない。

 テルチはオーストリア国境に近く、ウイーンからプラハに向かう道筋、リンツからブルノに向かう道筋の中間点に位置する。正確には分からないが、この町の起源は12世紀にモラヴィア王国の王子オッタU世がボヘミアのヴジェティスラフ王にこの地で勝利したこととされる。 1339年頃からフラデツ家の統治下にありルネサンス風の優雅な街に発展した。スラヴィタ家の時代にはイエズス会の影響を受け、その後第二次世界大戦終了時の1945年までリヒテンシュタイン家の所領となった。

 旧市街に一歩足を踏み入れると、まるでおとぎ話の世界、絵本の世界に迷い込んだ様な錯覚に陥る。 これが現実の世界かとさえ思わせる。ここで実際に人々が生活を営んでいるとはにわかに信じ難い。どの様にしてこの様な街並みが生まれたのだろうか?1530年テルチは大火に襲われ街が全て焼けてしまった。1550年領主のザハリアーシュはこれから建て替える家は全てルネサンス様式、又は初期バロック様式する様にとの指示を出した。その結果工夫して趣向を凝らした家々が立ち並び現在の様な姿になった。下の4枚目の写真の家がテルチで最も有名な家(61番地の家)、近づいてよく見ると豪華な装飾を施したその家の美しさには思わず引き込まれてしまいそうになる。当時この広場はマルクト広場と称したが、今ではこの領主に敬意を表し『ザハリアーシュ広場』と呼ばれている。テルチ歴史地区は1992年世界遺産に登録されている。
 テルチの旧市街は3つの池に囲まれた細長い長方形の形をしている。テルチ城は細長い三角形の形をしたザハリアーシュ広場の端の方にある。13世紀創建当時はゴシック様式だったが、16世紀後半に領主ザハリアーシュによりルネサンス様式に改築された。この日は残念ながら月曜日で見学できなかった。

 ザハリアーシュ広場の中心に18世紀初めペスト終焉を記念して建てられた聖母マリアの柱像がある。ここにもかつてのペスト禍の痕跡が残っている。柱像の最上部には頭上に5つ星が輝く聖ヤン・ネポムツキーが鎮座している。聖ヤン・ネポムツキーの像はチェコ国内の至るところで見られる。

 ヤン・ネポムツキーとはどの様な人物なのだろうか?14世紀末カレルW世の息子ヴァーツラフW世は王妃ソフィアに嫉妬して自分を裏切っているのではないかと疑いを持つ。そこで王妃の懺悔を聞く立場にあったネポムツキーに自分に話す様に迫ったが拒絶された。怒ったヴァーツラフW世はネポムツキーを拷問にかけ遂には殺害し、挙句の果てに遺骸をブルダヴァ河に投げ込んだ。5つの星は投げ込まれたネポムツキーが水中に消えた時に水面に輝いたものとされている。棕櫚の枝は天上から降りてきた天使が持っていたもので、神の祝福の象徴とされている。この他にも諸説あり、「イエズス会がフス崇拝を除く為に造りだした架空の人物」との説もあるらしい。

 一通り旧市街を見学して午後4時半頃にガイドのルーシーさんと別れた。オロモウツにどの様にして帰るのかと思ったら、ブルノまでボーイフレンドが迎えに来るのでテルチからバスでブルノに行って落ち合うことになっているそうだ。結婚はまだ考えていないとか。彼の話をする時は嬉しそうにしていた。お後が宜しい様で・・・。

 今日の宿泊ホテル 
Cherny Orel に一旦チェックインする。ホテルは通常フロントがあるフロアは広くゆったりしているが、ここは非常に狭く何人もいることができない。それでも部屋は広くゆったりした感じでザハリアーシュ広場に面していて、テルチ城や広場が一望に見渡せる。ホテルの並びには14世紀に創建されたゴシック様式の聖ヤコブ教会がある。その後火災に遭い、1892年現在の姿に再建された。夕食が7時半とまだ時間があるので散策に出かけることにする。

 
聖ドゥハ教会精霊塔が午後5時までならば上がれると聞いていたので、大急ぎでホテルを出た。聖ドゥハ教会は13世紀から17世紀にかけて教会だったが、その後軍の倉庫を経て現在はレストランになっている。高さ49mの塔の上部に展望台がある。危険防止の為網が張ってあり直接外を見ることはできない。そこからの景色を眺めるとテルチの旧市街が3つの池に囲まれているのがよく分かる。旧市街の外側は一周4Kmほどで約1時間程度で一巡りできる。元気があってもう少し時間があれば一周したかも・・・(単なる強がり?)。

 精霊塔を降りて広場に戻って来ると、何やら面白い建物が目に付いた。スグラフィット方式で装飾された建物で、角の丸い張り出し窓がこれは何だろうと思わせる。スグラフィット技法とは家々の漆喰の壁を引っ掻く様にして模様や絵を描く装飾芸術で、チェコに限らずEurope各地で見ることができる。

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