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 昨晩激しい雷雨があり今日の天気を心配していたが、朝起きて外を見ると快晴で気分も清々しい。今日も朝食後時間があり散策に出かけることにした。ウリツケー池からの眺めが素晴らしいのでそちらへ向かう。水面に景色が写り込み、逆さ絵を見ている様に思える。晴れて空が青くないとこの景色は堪能できない。昨日上がった精霊塔も見える。よく見ると水面に波紋がある。池の中には魚(鯉?)がたくさんいて水面近くで跳ねる時にできる。

 8時45分ホテルを出て旧市街の外の駐車場からバスに乗り、次の目的地フルボカー城へ向かう。麦畑、菜の花畑が続く車窓風景を眺めること1時間半、左前方の山上にフルボカー城が見えてきた。10時40分に城の麓にある駐車場へ到着。足が少々不自由な方6名が馬車で山上に向かう。料金は上がりも下りも1人200チェココルナ(約900円)。下りも電話を入れると山上まで迎えに来てくれた。

 今日は快晴で気温がかなり上昇しそうで汗っかきの私にはたまらない。結構急な坂道を上りきるとそこには
フルボカー城がある。ここの見学は事前予約できないので窓口まで行ってみないと状況が分からない。Iさんが窓口で確認すると英語ガイドによる案内は12時40分まで空きがないとのこと。仕方がないので城周辺を散策して時間待ちすることにした。個人でもツアーでも現地に行ってみなければ分からないので、時間の関係で見学できない可能性があることを覚悟する必要がある。チェコ語のガイドは入場料も安く(英語ガイドの半額ほど)回数も多いが、如何せんチェコ語ではちんぷんかんぷんでさっぱり分からない。但し英語の解説書を貸し出してくれる。ちなみにガイド付きツアーでしか見学できない。

 城の前の森を歩いたが森林浴には持って来いだが、特に何もなくただ歩いていると退屈になる。売店を覗いても時間つぶしにもならず、結局は中庭の見学入口前のベンチに座ってのんびりしていた。ふと見上げると壁面に立派な角の牡鹿の頭部が飾ってある。中世には王侯・貴族の間で盛んに狩猟が行なわれた。各々の鹿の下に名前が刻まれているが、多分ここの城主が自分の成果を誇示する為目立つ場所の掲げたのだろう。

 フルボカー城は13世紀にボヘミア国王オタカルU世が所有していたとの記録が残っているが、それ以前に誰がここに城を建てたのかは分からない。その後16世紀までボヘミア王家に属し多くの貴族の所領となった。17世紀から第二次世界大戦終了時までバイエルンの貴族シュヴァルツェンベルク家が所有した。シュヴァルツェンベルク家はその莫大な財産をフルに活用し、この城の絢爛豪華な装飾、それに美術品の収集に贅の限りを尽くした。また19世紀には城の改築を行ない、イギリス風のチューダー・ゴシック様式の美しい姿を現在に伝えている。

 城門に一風変わった
ドアの取っ手がある。シュヴァルツェンベルク家の紋章は『カラスに目を突かれるトルコ人』、この紋章が場内のあちらこちらに見られる。チェコはかつてオスマントルコ帝国の侵略に苦しめられ艱難辛苦を味わっている。そのオスマントルコへの憎しみと打ち破ったことの記念と言われている。

 12時40分少し前に入口に並んでいると、すぐ傍に台湾の若者5名がいて我々に話かけて来た。皆英語が話せるが、特に女性の英語は流暢で発音も素晴らしかった。日本にも行ったことがあると話していた。結構あちらこちらへ行っているらしい。

 城の内部は撮影禁止になっている。見学コースにはティールーム、エレオノーラの寝室、朝のサロン、大食堂、図書室などがありいずれも素晴らしい。写真撮影できないのが残念。英語ガイドが話す内容をIさんが小声で通訳してくれるのでよく分かる。イヤーフォンガイドがあるととにかく楽で助かる。英語でもある程度は分かるが少々辛い。Iさんによると以前どこかで同じ様に通訳していたら、ガイドにひどく嫌がられたことがあったそうだ。

 約1時間の見学を終了して午後2時頃、坂の途中にある
ナルズク((街角の意)予定より遅い昼食をとる。あちらこちらで白っぽい綿毛を見たが、後で聞いたがそれはポプラの綿毛とのこと。昼食を終えて駐車場へ向かうと、高い煙突の上に何やら見えるではないか。それは何と『コウノトリの巣』で子育て真っ最中・・・子供の姿は見えないが、懸命に子供に餌を与える姿が印象的。このけなげな姿を見て”赤ちゃんはコウノトリが運んで来る”ことを素直に信じた・・・なんてことがある・・・訳けがない(笑)?

 駐車場でガイドのミヒャエルさんと合流、彼女の先導(車)で次の目的地ホラショヴィツェへ向かう。ところがこの先導が何故かあてにならず、結局途中でヨゼフさんが地元の人に道を確かめることになった。

 40分ほどして
ホラショヴィツェに到着。チェスケー・ヴディェヴィツェの西15Kmにある小さな街全体が1998年世界遺産に登録されている。ここには1840年から1880年頃に建てられた南ボヘミアバロッ様式の漆喰造りの建物が集落をなしている。南ボヘミアバロック様式とは・・・ロココ、バロック、クラシックの要素が混在したこの地方独特の様式。ピンク、白、クリーム色などの壁、切妻屋根、植物などをモチーフにした装飾が施されている建物正面のファサードが可愛らしく、美しく、それに優しさに溢れる景観を醸し出している。この集落の中を歩いていると心が癒される。ところで他サイトで2004年4月初めに撮影した写真を見ると、両側に並ぶ家々の間には大きな池がある。もしかしたら今日行かなかったもっと奥に似た様な場所があり、そこが池になっているのだろうか?

 チェスケー・ヴディェヴィツェは醸造業が有名、特にヴドヴァイザー・ビールはチェコ国内で愛飲されている。チェコは1人あたりのビールを飲む量が世界一で大瓶約300本、日本が約100本だからチェコの消費量の多さが分かる。ヴドヴァイザーはバドワイザーと言えばピンと来る方もおられるだろう。むしろアメリカのアンホイザー・ブッシュ社『バドワイザー』を思い浮かべる人が多い。本家とは関係なく味も異なるとのこと。アメリカで本家がアンホイザー・ブッシュ社を訴えて勝訴したと聞くが詳しいことは分からない。

 下の4枚目の写真の右の方に19世紀の造られた
木製の井戸がある。この井戸を実際に動かすと暫くして水が出て来た。3枚目の写真のバロック様式の家は何年に建てられたかお分かりになるだろうか?正面最上部に記号の様な表示がある。それによると1843年に建てられたのが分かる。
 ふと見ると赤いCoca-Colaの看板があり、そこで地元の方がビールを飲みながら談笑している。こちらから声をかけるとにこやかに応じてくれた。ここではアイスなども売っているらしいが、どうやら店らしい店はここだけらしい。ここに立ち寄ってレストランで昼食をなどと甘い考えを持ってはいけない。少々の飲み物はあるが、腹を満たす様な食事は何もない。無論宿泊施設もない。

 Iさんがそこにいたおばさんに「自宅を見せて欲しい。」とダメノトで頼んだら、何と快く引き受けてくれて中がどうなっているか見せてもらえることになった。
この様な嬉しいハプニングは大歓迎。おばさんの名前はブラジェナさんで我々が日本人と知って嬉しそうにしている。話を聞くと以前日本のTVクルーが半月ほど泊り込んでブラジェナさん宅を撮影したとのこと。ブラジェナさん自身もTV出演したそうだ。何のTV番組だったのだろうか?一度VTRを見たいものだが、何せ手がかりがなく見当がつかない。

 ブラジェナさんのお宅は上の一番右側の写真の綺麗な家で、真ん中の小さな入口から中に入る。ブラジェナさんは右側の家に、左側には孫が住んでいるそうだ。中に入るとその奥行きの広さには驚かされる。馬屋もありけっこうな広さだが、日本流に言うといったい何坪あるのだろうか?
外から美しい街並みを見ただけでなく、この地区の人々が実際にどの様な生活をしているのか垣間見ることができたのは嬉しいブラジェナさんのご厚意に感謝し、全員でお礼を言ってお宅を後にした。もう1組日本人ツアーが来ていたが、時間がないのかさっと来てさっと行ってしまった。我々がブラジェナさんのお宅を拝見している時に、そのツアー一行が横目で羨ましそうに行き過ぎて行ったのが印象に残った。。

 街の外れにあるインフォメーション・センターでトイレを借りる(有料)。そこでは本、しおり、絵葉書などを売っている。立派な装丁のホロショヴィツェの紹介本(英語版)があり、写真も豊富なので購入した。すると係りの女性が鉛筆10本位プレゼントと言って渡してくれた。  改めてこの本を見るとブラジェナさんのお宅が表紙を飾っている。改めてこの家はホラショヴィツェを代表する家と実感した。

 再びバスに乗り17時40分に今夜の宿泊地チェスキー・クルムロフに到着。ここも旧市街にはバスが入れない。ホテルに電話してTaxiを頼むがなかなか来ない。暫くして後に荷物車を牽引したTaxiを含め5台に分乗してホテルに向かった。日本のTaxiと違ってメーターがないので、恐らく相場があってあとは交渉で値段が決まるのだろう。

 18時25分ようやくホテル
Dovrak に到着。ヴルダヴァ河を挟んで反対側にチェスキークルムロフ城が見える絶好の場所にある。真正面に「城の塔」が見える最上階(5F)の部屋が割り当てられた。部屋は結構広く眺めも良いが、最上階の為屋根の傾斜がある為狭い窓が一つあるだけ・・・。「城の塔」が額縁に納まったいるかの様な写真が撮れた。

 夕食後お風呂に入ったらシュッーと音がするだけでお湯が出なくなった。どうにもならないのでIさんにTelを入れると暫くしてホテルの男性がやって来た。「Big problem!」と話しかけると仕方なさそうにバスルームを見てすぐに戻った。その後フロントの女性からTelがあり「暫く経ってからtryして欲しい。」とのこと。10分位してretryしたら問題なく使えて事なきを得た。結局何が原因かは分からなかった。「日本人ツアー客が2組泊まっていて、同じ様な時刻に一斉にバスタブにお湯を入れた為ではないか?」とIさんからは聞いたが定かではない。

 翌日Iさんの話ではどの部屋でもバスが使えずフロントに連絡したら、ホテル側の対応がさっぱり要領を得ず大変だったとのこと。「係りが帰宅したので対応できない」、連絡して係りを呼んで欲しいと言ったら「連絡がとれない」、「お客さんがつまみを壊したのでは?」、挙句の果てには「前に宿泊した客がつまみを壊した」など言い訳けばかりで一向に埒があかなかったそうだ。ホテルによる差、従業員の個人差があるとは思うが、旧社会主義時代の体質から抜けきれずサービス業としての自覚に欠ける面があるのかもしれない。但し全てのホテルに問題があると言っているのではない。
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