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 今日はプラハの西約130Kmにある温泉保養地カルロヴィ・ヴァリを訪れる。8時40分にガイドのヘレナさんと合流しバスで少々早めの出発。今日のヘレナさんは英語ガイドで、Iさんの通訳で説明を聞く。出発してまもなくプラハ城の裏手で、以前プラハに滞在した時に宿泊したホテルを見かけた。旧市街までは地下鉄を使えば出ることができるが、不慣れなところで交通機関を利用するのは少々面倒。やはり歩いてどこにでも行けるのが良い。トイレ休憩を挟んで2時間20分ほどでカルロヴィ・ヴァリ(Karlovy Vary)に到着。クルシュナー山系の中にあり、ドイツ国境までは僅か15Kmしかない。

 
カルロヴィ・ヴァリとは「カレルの源泉」を意味し、ドイツ語では『カルルスバート』と呼ばれる。18世紀には保養地としてEurope中に知れ渡り、王侯貴族、政治家、芸術家などの有名人が訪れている。チェコ在住のドボルザーク、カフカ、それにショパン、リスト、ゲーテ、シラー、更にはハプスブルク家の女帝マリア・テレジア、プロイセン王国のフリードリッヒT世(フリードリッヒ大王)など・・・。ところでこの地に関して、次の様な言い伝えが残っている。

 
14世紀半ば、当時の神聖ローマ帝国皇帝カレルW世がこの地に狩りに来て鹿を追っていた時のこと。偶然傷ついた鹿が源泉に体を浸し傷を癒しているのを見つけた。それが温泉発見の由来とされている。1358年にカレルW世はここに狩猟用のロッジを建て、自らの名前を冠しカルロヴィ・ヴァリと命名した。

 温泉保養地と言うと、温泉に体を浸して癒すことを考える。ところがここは”
飲む温泉”・・・温泉飲用療法と大気療法(温泉を飲み、綺麗な空気で体を癒す)を目的にチェコ国内外から大勢の人が訪れ滞在する。また温泉プールもあり泳げる様になっている。今回Iさんから事前にTELがあった時に「水着を持って行ってもいいですよ。」とのことだったので、一応水着を用意したが時間がなくその機会はなかった。カルロヴィ・ヴァリに1泊しなければ無理・・・。

 テプラー河(テプラーとは”暖かい”の意)沿いに森林浴をしながらのんびり歩く。木々がたくさんあると空気が美味しくて気持ちが良い。カルロヴィ・には全部で4つのコロラーダ(柱廓)がある。川沿いに歩いていくと最初に見えて来たのが
ヴジーデルニー・コルナーダ。ここは1971年から1975年にかけて建てられたガラス張りの新しいコルラーダで、中には地下2500mから高さ12mも吹き上げる間欠泉ヴジードロがある。勢いよく吹き上げる温泉は72度もあり、すぐ傍に近づくと熱気でムッとする。この間欠泉は人気があり大勢の観光客が見上げていた。

 建物内には5つの蛇口があり、それぞれ異なった温度(30度〜72度)の温泉を味わうことができる。試しに飲んでみたが、鉄と硫黄の臭いがして決して美味しいとは言えない。後日の話のタネに飲んでみた方がよい。但し胃腸に良いからと言ってガブ飲みしない方がよい。あまり飲みすぎると刺激が強すぎて腹を壊す恐れがある。ところで試飲する前に売店で面白い形をした温泉飲用のカップを買い求めるとよい。吸い口がありそこから飲む。大きさ、デザイン、模様が様々でどれにするか迷ってしまう。
 ヴジーデルニー・コルナーダのすぐ近くに白いレースの様なネオ・ルネサンス様式の木彫の装飾が一際目立つトルジニー・コルナーダがある。1883年に建てられ近年修復されている。言い伝えではこのコルナーダでカレルW世がこの温泉で足の傷の治療をしたとされている。南西の端にある源泉にはカレルW世の名がつけられている。その源泉の近くに1枚の木製のレリーフがある。そこにはドイツ人画家ゼルクラー作のカレルW世の温泉発見のエピソードが掲げられている。

 またヴジーデルニー・コルナーダのすぐ近くには、2本の塔と白壁が美しいバロック様式の
聖マリア・マグダレナ教会がある。正面のバロック様式の祭壇が一際目立つ。ところで2本の塔にはそれぞれ時計があるが、時間が違っているのは何故?

 時間の関係でここで引き返したが、もう少し先に行くと1871年から1881年にかけて建てられた
ムリーンスカー・コロナーダがある。ネオ・ルネサンス様式の美しい建物で、ずらりと並ぶ柱の上には12ヶ月を表す12の彫像が置かれている。更に奥に行くと1880年から1881年にかけて建てられた円形のドームが美しいサドヴァー・コロナーダがある。いずれも後にガイドブックの写真を見たが、折角すぐ近くまで行ったのに見られなかったのは改めて残念に思う。もう1時間の余裕があれば・・・。

 ヘレナさんから割引券をもらっていたので、ツェレトナー・クリスタルで青いボヘミアングラス(花瓶)を買った。店内にはガーネット、琥珀のアクセサリーなども多く陳列されており、あれもこれもとつい目移りしてしまいそう・・・。

 
カルロヴィ・ヴァリのお土産と言えば・・・忘れてはならないお土産が2つある。 まずは『スパ・ワッフル』・・・直径15cm位の2枚の薄いウエハースにクリームを挟み込んであり、バニラ、チョコレート味など数種類ある。これがまたさっぱりした味で美味しい。たくさん買うとがさばるが、日本へのお土産としては安くて最適。

 次は製造法は秘伝で分からないが、一説には100種類以上もの薬草が入っているらしい薬草酒『
ベヘロフカ』・・・試飲させてもらったが、のど越しにぐっと来るかなりアルコール度の高いお酒。胃腸など体に良いそうだ。日本で言えば『養命酒』の様なものだろうか?

 せめてカルロヴィ・ヴァリであと1時間あれば、回れなかった2つのコルネードや12の源泉を見ることができたと思う。正直言えばもう少しゆったり見学したかった。この日は朝の出発時間を1時間位早くする、日程の組み替え、あるいは期間を1日延長してここに宿泊するなどの工夫により可能ではなかったでは?
約100年前に建てられたグランドホテル・プップまで戻り昼食をとる。14時半頃バスでプラハに向けて出発。これではプラハに着くのは夕方になり自由時間があまりとれそうにもない。

 プラハへの帰りは時間が押していることもあり、バスはトイレ休憩なしで走り16時50分頃にはカレル橋の近くに到着。オペラ組の内7人は忙しくなるからとバスに乗りそのままホテルへ直行した。私は明日改めて自由時間にカレル橋まで来ると時間が無くなり、他の回りたい場所を回れなくなると考えてそこで教会コンサート組と一緒に下車した。それに1時間あればカレル橋と旧市街の一部を見ることができるので時間が節約できる。

 
カレル橋を渡るのは今回で2度目になる。旧市街とマラー・ストラナの2つの歴史的地区を結びヴルダヴァ河に架かっている。2002年9月に訪れた時はEuropeを襲った大洪水の直後でブルダヴァ河付近にも随所にその痕跡が残っていたが、現在ではもう修復されてすっかり綺麗になっている。カレル橋に上がる階段付近にセーラー服姿の若者が盛んに観光客に声を掛けている。水路には小舟があり、どうやら観光客を小舟に乗せ水路やヴルダヴァ河を案内する商売らしい。

 カレル橋は1357年カレルW世の命により建設が開始され、1402年ヴァーツラフW世の治世下に完成する。長い年月の経過、それに度重なるブルダヴァ河の洪水により橋は痛み1890年にの2つのアーチが再建されている。それ以外は中世の創建当時のままで当時の美しい姿を現在まで留めている。ゴシック様式のこの橋は
全長516m、幅9.5mの石橋を12の脚柱が支え16のアーチが架かっている。橋と両端にある2つの塔はプラハの街の防衛の役割を果たしていた。

 この橋には日本でお馴染みの聖フランシスコ・ザビエル像、それに聖ヤン・ネポムツキー像など
30体の聖人像がある。14世紀橋に設置されていた『キリスト磔刑像』が1657年に修復されてから、その後次々と彫像が置かれる様になった。現在置かれている彫像は大半が複製で、もろく崩れやすい砂岩で作られたオリジナルは国立博物館に収蔵されているとのこと。大切な文化財を代々伝えて行く為には、やはり厳重な管理下で保存する必要がある。

 さすが有名スポット、大勢の人で賑わっている。それでも夕方の為か、思いのほか空いていて混雑はひどくない。翌日の昼にカレル橋へ行った方の話では、体がぶつかりそうになるほどの大変な混雑だったそうだ。
橋の上からブルダヴァ河越しに見るプラハ城は何度見ても素晴らしい。小高い丘の上に鎮座するその姿は威厳に満ちている。橋には自作の絵を売っている画家がいる。マリオネットを操っている人形師がいる。また生演奏している4人組のミュージシャンもいる。橋のたもと、塔のすぐ傍にカレルW世の像が凛として建っている。カレルW世がこの世を去って627年経過した今、チェコの現状をどの様な想いで見つめているのだろうか?カレル橋はプラハを代表するスポット、できればゆっくりと過ごしたい。

 ところでサックス奏者の頭上後方にネオ・ルネサンス様式の
国民劇場が写っている。ドイツの支配下にあった時代にはドイツ語が強制され、チェコ人は自国語を自由に話すことができなかった。チェコ国内に自分達の劇場を建てようと活動し、『チェコ語によるチェコ人の為の舞台を』をスローガンに国民からの寄附などにより建てられた。1891年落成式直前に火事で消失し、再び寄附を募り2年後に再建された。
 旧市街広場の手前にカフカが住んだアパートがある。突当たりのピンク色の建物のどこかの部屋に住んでいた。とは言っても何の変哲もない建物、説明がなければそのまま通り過ぎて気がつかないだろう。旧市街広場に出て旧市庁舎(天文時計)、テイーン聖母教会を見ている頃ホテルに戻らなければならない時間になったので、教会コンサート組と分かれて急いでホテルへ戻った。

 大急ぎで背広に着替え、ホテルの前からTaxiでチェコ国立歌劇場へ向かう。事前にIさんがホテルに確認してあり、Taxiは300チェココルナと聞いている。それに帰りのTaxiについてもヘレナさんから「帰りもホテルまでお願いします。」と書いてあるチェコ語のメモをもらってあるので心強い。走り出してまもなく運転手が「帰りは?」と尋ねて来たのでもちろん依頼した。 運転手も慣れたものでメモは不要だった。ホテルからは10分ほどで到着。

 
チェコ国立歌劇場(国立オペラ座)は国民劇場に対抗して”ドイツ人の為の劇場”として1889年にネオ・ルネサンス様式で建てられた。かつてはドイツ劇場と呼ばれ、第二次世界大戦後スメタナ劇場と呼ばれていた時期があった。1976年から1983年にかけて修復され現在の姿になっている。国民劇場が主としてチェコの作曲家の作品を上演しているのに対し国立オペラ座はチェコにこだわることなく全世界の作品を上演している。

 オペラ座は定員約1300席ほどの小さな規模で外観も地味だが、中に一歩足を踏み入れると内装には赤いビロードと金を惜しげもなく使い豪奢な雰囲気を醸し出している。ウイーン国立歌劇場をモデルにしたと言われている。
 今日の演目はヴェルディ作曲の『リゴレット』。ウイーン国立歌劇場では席の前に小さなボードがあり、英語に訳された歌詞が表示されるので何を歌っているのか少々分かる。ここはそれがないのでイタリア語の歌詞は全く分からない。しかしながら荒筋を知っていれば、どんな場面で何を歌っているのか凡そ見当がつく。

 途中の休憩の時2Fにあるサロンがあり正面入口の真上にあるテラスに出ると、そこには大勢の客がいて混雑していた。テラスから見上げると建物正面の見事なファサードが真上にある。外国人夫婦の旦那さんが「写真を撮ってあげましょうか?」と言ってくれたのでお願いする。席に戻ってビックリ、何と目の前に先ほどの夫婦がいる。 「Hellow!」と声をかけると相手も驚いていた。「Where are you from?」と尋ねると「England.」と答えが返って来た。 旦那さんに「Are you enjoying here?」と尋ねられたので、私は無論「Off course,Yes!」と答えた。ちょっとした国際交流になった・・・かな?

 前から5列目の最上席で見たので、演技者の表情、それに舞台の奥までよく分かる。いつもながら歌手の素晴らしい声量には驚かされる。舞台と客の間にオーケストラ・ピットがあり歌手はオーケストラの音量を上回る声量で歌わなければならないが、いとも簡単に観客席の隅々までその声を響かせる。オペラを見る度に新たな感動が生まれる。

 休憩2回挟んで
正味2時間20分の公演が終了カーテン・コールが始まり、主な出演者、指揮者が舞台に登場する。観客からは惜しみない拍手の嵐・・・オペラの感動の余韻を残しつつオペラ座を後にした。
 Taxiの運転手が「The same place.」と言っていたので、オペラ座を出て先ほど降りた場所へ行くと既にそこで待っている。結果として『送迎付きのオペラ鑑賞』・・・何だかRichな気分になりとても嬉しい。Taxiに乗り込みホテルへ、22時過ぎに到着。
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