直線上に配置
 朝食後出発までの時間を利用して昨日途中までしか見ることができなかった旧市街広場付近の散策に出かける。旧市街はカレル橋から旧市街広場を抜け火薬塔に至るエリアで、ヴルダヴァ河の東岸に位置する。旧市街広場はまさにプラハの中心部、大勢の観光客が広場を行き来する。この広場を取り囲む様にゴシック、ルネサンス、バロック、ロココの時代の異なる様式の美しい建物が取り巻く。

 この広場はチェコにとって良くも悪くも”プラハ千年の歴史”の様々な場面に登場して来た。1621年6月ビーラー・ホラ(白山)の戦いでハプスブルク家に敗れた新教徒派のボヘミア貴族27名の処刑・・・旧市庁舎(礼拝堂)の前に27の十字架があるが、そこで処刑された首はカレル橋に晒された。1968年「プラハの春」を弾圧したソ連軍の侵攻、1990年社会主義政権を打倒し民主主義復活へ導いた『ビロード革命』の舞台の一つなど・・・。プラハの市民(チェコ国民)にとって象徴的な広場になっている。

 
旧市庁舎の建物は1338年に完成し貴族住居として使われていたものを市が買取った。旧市庁舎のシンボルになっている高さ69mの塔は1364年に建てられている。以後何度も拡張、破壊、修復が繰り返されているが、直近の修復は1978年から1981年にかけて行なわれている。ところでここの塔には上がることができるが、そのことをうかつにも見落としていたので”高所マニア”としては残念!

 塔の下には
天文時計がある。1410年頃に時計製作のミクラーシュ親方が作り、1490年頃にハヌシュ親方が作り直したとされている。上の文字盤が地球を中心とした天体の動き(天動説による)を示し1年かけて一周するプラネタリウム、下の文字盤は黄道12宮と農村での1年の作業を表わしたカレンダーで1日の1目盛り動くカレンダリウム。文字盤の横にはそれぞれ4体の彫像がある。プラネタリウムの方には骸骨(死神)、楽器を持つ男(色欲)、鏡を持つ青年(虚栄)、金袋を持つ男(貪欲)が、カレンダリウムは歴史学者、天文学者、哲学者、天使がある。文字盤の上にある仕掛けは9時〜21時の毎正時に動くので、自由行動の時にタイミングを合わせて見ることにした。

 広場の東側に高さ80mの2本の尖塔を有するゴシック様式の
テイーン聖母教会が一際目立つ。双塔は天高く突き出し、街中のどこからでも見える。多くの人がこの教会の写真を見るとすぐにプラハが思い浮かぶだろう。もともとは1135年に建てられた外国商人の宿泊施設に附属するロマネスク様式の教会だったが、1365年にゴシック様式に改築され15世紀前半にはフス派の拠点として機能していた。双塔の間にあるティンパヌムには『聖母マリア像』があるが、高いところにあるので双眼鏡がないと見えない。ちなみに正式には”ティーン(税関)の前にある聖母教会”と言う。以前教会の裏手に税関があったことからこの様に呼ばれたと言われている。

 ティーン聖母教会の北側に1755年から1765年にかけて建てられた
ゴルツ・キンスキー宮殿がある。ロココと新古典主義の装飾を施した後期バロック様式の重厚な宮殿は当初ゴルツ伯爵が所有、その後キンスキー大公の所有になりこの様に呼ばれている。ピンク色の建物にはロココ調のスタッコ細工で美しく装飾された窓、最上階には彫像などがあり華やかな雰囲気を醸しだしている。現在は国立美術館として使われている。

 この教会とティーン聖母教会の間に13世紀末に建てられたゴシック様式の
石の鐘の家がひっそりと目立たぬ様にたたずんでいる。建物の右側の角、1Fと2Fの間に鐘があるのに気づかれただろうか?目を凝らして写真を見て頂きたい。ここでコンサートが開かれることもあるとのこと。

 ゴルツ・キンスキー宮殿の近く、広場の中央に大きな
ヤン・フスの群像がある。ヤン・フスは誰もが知っている『宗教改革』の先駆者、ルターを遡ること約100年前プラハ大学教授のヤン・フスはカトリック教会の腐敗を徹底的に公然と糾弾した。ローマ法王から破門され宗教裁判にかけられ、ドイツのコンスタンツで火あぶりの刑に処せられた。ヤン・フスはチェコの人々の誇りであり、1915年没後500年を記念して建てられた。ヤン・フスの周囲にはフス派の戦士やビーラー・ホラの戦いでチェコを追放された新教徒などが取り巻いている。台座には”正義は勝つ”の文字が彫られている。いずれの写真にも文章が写っているがチェコ語では皆目分からない。

 ティーン聖母教会とは対角、広場の北西に2つの塔を有する
聖ミクラーシュ教会がある。12世紀に創建され、18世紀にはバロック様式に改築されて現在はフス派の教会になっている。広場に面したファサードは荘厳で重厚な装飾で見る者を圧倒する。ここの音響は素晴らしく、室内楽やパイプオルガンのコンサートが開かれている。

 出発の時間が迫って来たのでツェレトナー通りから火薬塔を抜けホテルに戻る。ホテルで流暢な日本語を話すガイドのヤナさんと合流してバスで出発。当初の話ではヘレナさんが最後までガイドすると聞いていたが、IさんがAgentと交渉して替えてもらったのだろうか?

 20分ほどで小高い丘の上にあるブレモント会の
ストラホフ修道院へ到着。1140年ボヘミア王ヴラチスラフU世により建てられたが1258年大火災により焼失しその後ゴシック様式で再建された。その後戦争による破壊と修復を繰り返し現在に至っている。現在はチェコ民族文学博物館として使用されている。

 歴史図書館は写本5000冊、初版本2500冊を含む何と13万冊もの膨大な蔵書を保存している。更には相当数の歴史地図が含まれる。また9世紀から18世紀にかけてのチェコ文学の資料が豊富に揃っている。図書館内の哲学の間」は18世紀後半に造られ、天井が14mと高く奥行きのあり広々としている。この部屋だけで何と5万冊もの蔵書が収蔵されている。しかしながらこの部屋の圧巻は修道僧ノセツキーの一連(25点)のフレスコ画、すぐ近くで見ることができないのが残念だが遠目にも素晴らしい。

 「神学の間」に通じる廊下には如何にも古そうな蔵書が本棚にびっしり収蔵されている。 恐らく古い宗教書かと思う。廊下の突当たりに『
修道院最古の写本』・・・9世紀にラテン語で書かれた福音書が展示されている。説明を受けないでこれを見ても、ほとんどの方は何だか分からないと思われる。宝石を散りばめた豪華な装飾はどこから見ても”宝箱”の様にしか見えない。この福音書は説教などで実際に使われたのだろうか?

 「
神学の間」の低い天井に描かれているフレスコ画がスタッコ細工の装飾が素晴らしい。 この部屋には古い地球儀と天球儀が多く置かれている。?私の推測だが、中世のキリスト教の(天動説に基づく)世界観、宇宙観を教える為ではないだろうか?この部屋も「哲学の間」に同じく、入口から中を覗いただけで一瞬中世に引き込まれそうな錯覚に陥る。何やらそこだけが時間が止まっている様な不思議な感じがする。

 ところで廊下に何やら得体の知れない道具?が展示してある。その場で「これは何?」と聞いたはずだがすっかり忘れてしまった。構造から推測すると発電機の様な器具かと思われるが、さて何だろう?

 ストラホフ修道院を出て次の目的地プラハ城へ向かう。少し歩くと17世紀に建てられ現在外務省として使われているチェルニン宮殿のすぐ目の前に
ロレッタ教会がある。1626年創建されたこの教会はキリスト教の聖地に由来する。その伝説とは・・・13世紀最後の十字軍が遠征すると、パレスチナにある聖母マリアがイエスの誕生を告げられた聖なる家『サンタ・カーサ』が天使によりイタリアのロレッタ村に運ばれた。中央にそびえる塔には1694年アムステルダムで鋳造された27の鐘が付いたオルゴールがあり、毎日8時〜18時の毎正時に”マリアの歌”を奏でる。時間が合わず美しい音色が聴けなくて残念!

 15世紀に建てられた
フラチャニの旧市庁舎の傍を通る。これはガイドブックにも載っていないので、説明を聞かなければそこにその様な建物があるのに気がつかない。ここの壁にもスグラフィット技法が施されている。今までに何度も出てきているスグラフィット技法について簡単に説明する。

 
スグラフィット技法とは・・・16世紀半ばにボヘミア全土に広がった装飾技法。木炭などで黒に色づけした漆喰を塗り、その上に石灰などで作られた塗料を塗る。よく乾燥させてから白い塗料を引っ掻いて削り取る。もともとはイタリアで開発された技法。

 しばらく歩くと現在外務省として使われている
マルティニツキ宮殿の前を通る。先ほども外務省があったが、「こちらが大統領府のあるプラハ城に近いから本館か?」と勝手に想像する。 残念ながら?本当のところは分からない。

 フラチャニ広場に出ると目の前はプラハ城、さすがにプラハの有名観光スポット、おまけに今日は土曜日で観光客が大勢いる。プラハ城の正門の手前左側には
大司教宮殿がある。当初はルネサンス様式で建てられたが、17世紀後半にはバロック様式に改築された。更に18世紀後半にロココ様式の装飾が加わり現在の姿になっている。優雅なその姿は見る人の目を引きつける。フス戦争直後の1562年ハプスブルク家の皇帝フェルディナンドT世が大司教の為に購入し、それ以降現在も大司教舘として使われている。

 正門の手前右側には1545年から1576年にかけて建てられたルネサンス様式のシュヴァルツェンベルク宮殿がある。スグラフィット技法で作られた壁面は、ダイヤモンドカットの切石積みの様な効果を出していて美しい。現在は戦争歴史館になっていて、太古の時代の武器から1918年まで軍隊で使われていた武器などが展示されている。

 広場の東側からの眺めは素晴らしく、マラー・ストラナ、旧市街が一望に見渡せる。天気の良い日に高いところから見る広大な眺望は気分を活性化させてくれる。カレル橋の塔が見えるが、どうやら大勢の観光客で”イモ洗い”状態の様に見える。今日は天気が良く加えて土曜日と来れば当然・・・。

 広場で4人組もミュージシャンがいて演奏している。彼らにとり人が大勢集まる場所は絶好の稼ぎ場所。ところでいつも思うのだが、この様なStreet Performanceでどの位稼ぐのだろうか?一人ひとりの額がすくなくても”塵も積もれば山となる”?

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