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 今日は京都の友人と四条河原町の高島屋前で午後1時に待ち合わせの約束をしているので街中に向かうことにする。旅館を出て宇治橋の少し上流にある中州から朝霞橋を渡り、紅葉の名所として有名な興聖寺へ。宇治川沿いから寺門に至る琴坂は紅葉が美しい。真っ赤な楓のトンネルが目につく。ここは1236年に道元禅師を開祖として伏見深草に開かれたがいったん廃絶、1649年当時の淀城主永井尚政により現在の場所に再興された。本堂は伏見城の遺構を移築したもので、血の手形が残る天井や鴬張りの廊下などを見ることができる。伏見城の遺構でいわゆる血天井は5ヶ所・・・興聖寺、養源院、宝泉院、源光庵、正伝寺・・・全て見たことがある。伏見城の惨劇を風化させず、そして死者の菩提を弔う為にわざわざ残したものだが、どこで何度見ても生々しい。

 宇治橋を渡り
平等院へ。1052年関白藤原頼通が父道長の別荘を寺に改めたのがはじまり。当時末法思想が貴族や僧侶らの心をとらえ、極楽往生を願う浄土信仰が流行していた。藤原頼通は極楽浄土を具現化した姿で鳳凰堂を建立した。死の際に頼通は鳳凰堂内で自らの手と阿弥陀如来(定朝作)を紐で結び、仏の導きで極楽浄土への旅立ちを願ったと言われる。創建当初は広大な寺域に大伽藍を誇ったが度重なる戦火で焼失、現在では鳳凰堂(国宝)、観音堂(重要文化財)、鐘楼だけが残る。鳳凰堂は今でこそ色あせているが、2001年3月にオープンした平等院ミュージアム鳳翔館には創建当時の極彩色が再現されている。館内には国宝の梵鐘1口、木造雲中供養菩薩像26躯、鳳凰1対、鳳凰堂中堂扉画8幅、重要文化財の観音菩薩立像などの宝物が展示されている。

 京阪宇治駅から京阪電車に乗り、誰もが知る紅葉の名所
東福寺へ。摂政九条道家が1236年より1255年にかけて、聖一国師を開祖として建立。今日は上れないが以前三門(山門)に上ったことがある。妙心寺、南禅寺、東福寺の山門に上ったことがあるが、高い所に上がると気持が良いものだ。

 ものすごい人で混雑しているのは分かっているが、ここは外すわけにはいかない。東福寺駅で降りたらそこからもう人また人、どうなることやら・・・案の定ものすごい人、
通天橋の入口は長蛇の列。あまりにも有名、しかも京都駅からも近く誰もが知っている紅葉の名所、混んで当たり前。通天橋の狭い通路が人でびっしり。警備員が「立ち止らないで進んでください」と叫んでいるので橋の上から写真なんぞ撮ることもできない。人にもみくちゃにされながら何とか通天橋から谷を眺めて橋を渡りきる。通天橋から一歩出ると、そこはさすがに広くある程度ゆったりできる。ここへは秋のシーズンに今まで何度も来ているが、紅葉が最高潮の休日に来ても今年ほどすさまじいことは経験がない。

 すさまじい人ごみを後にして東大路通りのバス停に行ってバスを待ったが全然来るような気配がない。おまけに道路が大渋滞。約束の時間がせまってくるのでTaxiをとめて乗り込む。Taxiの運転手なら途中から裏道を通って何とかしてくれると考えた。狭い裏道を通り鴨川沿いの四条大橋近くの川端通りに出てなんとか間に合った。よくよく考えれば東福寺駅へ戻り、京阪電車で四条駅まで行った方が楽だったのだが・・・。

 四条河原町の高島屋前で友人と待ち合わせし、木屋町通りのレストランでフランス料理を味わう。八坂神社から知恩院、青蓮院、そして三条通りを東へ蹴上から
南禅寺へ向かう。南禅寺へ向かう道は車と人でたいへんな混雑。一緒に同行した京都の友人によると、さすがにこれほどの混雑は見たことがないとのこと。直近の9.11ニューヨークのテロの影響、長引く経済不況で海外旅行を取りやめて国内旅行に切り替えた人が多いのだろう。

 せっかくここまで来たのだからと山門に上がることにした。急な階段を上るとそこには壮大な眺めが楽しませてくれる。写真を見ると山門の上は空いているように見えるが、降りる為に右側に回りこむとさあたいへん。出口は左手曲がったすぐの所にあるが、ロープが張ってあり一方通行なのでどうしても右側から回らなければならない。幅2mほどの回廊がびっしりと人で埋め尽くされていて大渋滞。降りる所が狭い急階段なのでゆっくりと一人づつしか通れない。そこに大量の人が押し寄せるからさばけるわけがない。あきらめて流れにまかせ、結局下へ降りるまで約30分もかかった。・・・というわけですっかりくたびれてしまい、周りの建物や紅葉を見る体力、気力も限界に近づいていた。と言うわけで京阪四条駅へ戻り、京阪電車で宇治へ戻った。

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京都旅行記(2001.11)

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