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 今日は1日ウイーン市内観光、前回訪れることができなかったシェーンブルン宮殿内部、美術史美術館へ行く予定になっている。特に美術史美術館にあるルーベンス、デューラー、レンブラント、ラファエロなどの名だたる画家の作品を現地で見るのが今から楽しみ・・・。

 8時半バスに乗りぐるりとリングを半周してシュテファン広場へ向かう。ケルントナー通りを歩いた方がどう考えてもはるかに早いのだが・・・。そこには身廊の長さ100m、高さ39mのシュテファン大聖堂がある。ウイーンの顔とも言ってもよいこの大聖堂は、リングの内側、しかもケルントナー通りに面した絶好の位置にありいつも大勢の人で溢れている。ここへは2度目の訪問となる。1147年ロマネスク様式の小さな教会がたてられ、1304年頃ハプスブルク家のルドルフW世によりゴシック様式の大きな教会に改築された。華麗なカテドラルでは歴代のハプスブルク家の皇帝の葬儀が執り行われた。

 高さ137mの
南塔の72mにある監視塔まで上がれる。現地ガイドのSさんに上がり口を教えてもらったが、疲れが出ているので今回も見送った。地下にはハプスブルク家歴代の皇帝の内臓を納めたカタコンベがある。他のサイトによると暗い地下室には今でも人骨があり薄気悪いとか・・・。そう聞くと私はますます見たいと言う気持ちが強くなる。次回ウイーンを訪れる時の宿題か?

 外に出て正面入り口から北側へ回ると、北塔の下に15世紀の彫刻「
歯痛のキリスト」がある。名前の由来はイエス・キリスト自身が歯痛に苦しんでいるとも、悪人を歯痛で苦しめるとも言われている。主祭壇の北側にはMozartの葬儀が行なわれた場所がある。大聖堂の壁にそのことが記されている。1791年雪の舞い散る寒い日35歳で亡くなったMozartはここへ運ばれ、グレードの低い簡単な葬儀が執り行われた。その後市内の共同墓地に馬車で運ばれ埋葬された。その時妻のコンスタンツェは立ち会っていない。後日コンスタンツェが掘り起こして再度埋葬しようしたが、その時には既に遺骨の判別がつかなくなっていたそうだ。現在ウイーンの中央墓地にはMozartの記念碑が立っているだけ・・・
名な作曲家の行く末にしては哀れを感じる。

 再びバスに乗りシェーンブルン宮殿へ向かう。ここも2度目の訪問となる。前回来た時は時間が無く、宮殿の周りと裏手の庭園を覗いただけ・・・何をしに来たのか分からない有様だった。今回は宮殿内部を見ることができるので楽しみにしている。

 
シェーンブルンとは”美しい泉”のこと。17世紀初め皇帝マティウスがこの地にあった狩の城で、”美しい泉”を見つけたことに由来する。1696年レオポルトT世の命で建築家フィッシャー・フォン・エアラッハの設計で建設が始まった。18世紀半ばマリア・テレジアの代まで増改築が繰り返され、完成時には部屋数1441、使用人1000人を超える大宮殿となった。マリア・テレジアン・イエローの外壁が美しい。

 正門を入ると宮殿前のトラックが停まり何か作業をしている。昨日ここの広場でデビッド・ボウイのコンサートが行なわれたそうだ。クラッシックな趣きの宮殿にロック・コンサートは何やら違和感を覚える。オーストリアの国家財政も厳しいのか、シェーンブルン宮殿も民営化されたとのこと。企業としては収益を確保する為には観光客からの収入だけでは不充分なのだろう。一定の制限はあるのだろうが、何か新たなことをやっていかないと成り立たない。いずこの国も大変なことだ。ウイーン市内
にもぽつぽつと高層ビルが建ち始めている。以前京都で駅ビルや京都ホテルの建設を巡って、開発と景観保存で大論争になったことがある。おそらくウイーンでも同じような議論が起きているのではないだろうか?

 宮殿前にはトラックが停まっているし建物には照明器具の様なものがまだ残っている。正面から写真が撮れないので裏手に回るとこちらは修復工事中。結局建物自体の写真は撮れず、初めてここへ来た人は残念だったと思う。宮殿見学までまだ時間が少々あるのでそれまで庭園を散策することになった。広大な庭園の中央に「ネプチューンの泉」がある。その奥の小高い丘の上に「グロリエッテ」があり、かつてマリア・テレジアが好んでここで朝食をとったと言われている。今回もまた「ネプチューンの泉」付近で引き返さざるを得なかった。「グロリエッテ」へはよほど時間的余裕がないと行って帰ってくることはできない。またここには1752年完成の最古の動物園や、1882年完成の当時世界最大の温室などもある。時間が少なくとても回りきれない。またまた宿題として残ってしまった。 ウイーンへは今度は個人旅行で来ないと・・・。 

 10時35分に宮殿内見学開始。22室見ることができるインペリアル・コースと、見学可能な40室全室を見ることができるグランド・コースがある。今回は
インペリアル・コース。「フランツ・ヨーゼフの書斎」、「フランツ・ヨーゼフの寝室」、「マリー・アントワネットの部屋」、「鏡の間」など・・・豪華な装飾や調度品に数々に目を奪われる。さすが当時最高の権力者が贅の限りを尽くしたものとひたすら感心する。ただ昨年南ドイツでルードヴィッヒU世のあまりにも華美な城を見て来たので、豪華なはずのシェーンブルン宮殿が普通に見えてしまう
今度驚くのはもしかしたらパリのヴェルサイユ宮殿を見る時・・・???「鏡の間」では神童Mozartがマリア・テレジアの前で、ピアノの御前演奏を行ない絶賛を受けた。Mozartが転んだ幼いマリー・アントワネットを助け起し、「君をお嫁さんにしてあげる」と言ったといういうエピソードは有名。

 バスでホテルの近くに戻り、レストラン 
FUEHRICH で昼食をとる。その後歩いて
美術史美術館へ向かう。フランツ・ヨーゼフT世の時代、1857年にウイーンの城壁を取り払い新都市計画が実施された。その際ホーフブルクのブルクリングを挟んで向かい側に、美術史美術館と自然史博物舘が建てられた。この2つの建物を向かい合わせる構想は、カール・ハーゼナウアーとゴットフリート・ゼンパーの設計による。

 1881年に完成した新古典主義の
美術史美術館には、ハプスブルク家の膨大なコレクションが収蔵されている。1Fにはオーストリア、ドイツ、イタリアの工芸品や古代地中海世界の遺跡から出土した彫刻、宝石細工などが展示されている。2Fへと続く華麗な大理石の階段を上がると、数多くの部屋にイタリア、フランドル、ドイツ、スペインなどの巨匠の膨大な数の絵画がずらりと揃っている。いくら財力があるからと言ってもよくもこれだけ収集したものだ。2Fの展示場は天井が高く、しかも採光は天井の明り取りのみ・・・つまり自然光である。本物の絵画を本物の色で見せる為の仕掛けに違いない。

 フランドル派の
ブリューゲル(父)の展示室に入ると、つい最近テレビ東京の「美の巨人たち」で見たばかりの絵、「雪中の狩人」、「農民の婚礼」、「バベルの塔」などがが目に飛び込んできた。TVで見ると絵の色合いや大きさもわからないが、実際目にすると鮮やかな色使い、タッチなどがよくわかる。実際に現地で本物を見ると、その素晴らしさはより鮮明に脳裏に焼き付けられる。体中に震える様な感動が走る。

 
デューラーの『マキシミリアンT世の肖像画』、グラナッハの『ホロフェルネスの首を持つユディット』、ルーベンスの『毛皮をまとった画家の妻』、ヴェラスケスの『白いドレスの王女マルガリータ』、ティントレットの『入浴するスザンナ』、ラファエロの『草原の聖母』など・・・名品が続々と目の前に現われる。ジョルジオーネの特別展示があり自画像もある。これほどの名品がここに一同に会しているとは・・・まさに奇跡としか言い様がない。ここに収蔵されているここに収蔵されている唯一のフェルメールの作品『絵画芸術の寓意』は、たまたま東京都美術館に出張中(7月4日まで、『栄光のオランダ・フランドル絵画展』)・・・帰国後上野まで出かけこの絵を見てきた。この絵を含め58点の絵がウイーン美術史美術館から東京都美術館に出張中。あらためてウイーンで見た絵画の数々の記憶が鮮明に脳裏に蘇った。

 No flash OKなので写真を撮影してきた。尚、
ウイーン美術史美術館の名品の数々は ★こちら★ から見ることができるので参照されたい

 美術史美術館鑑賞後にお土産屋へ行きその後解散。夕方ホイリゲへの出発時間にはまだ間があるのでケルントナー通りを散策する。

 19時に国立歌劇場近くに集合。我々のツアーからは6人、他のグループも合わせて17人で出発。ホイリゲへ直接向かうにはまだ早いので、
プラター公園にある直径60mの大観覧車に乗る。この大観覧車は映画「第三の男」にも登場した。オーソン・ウェルズ主演のこの映画を小学生の頃に見た記憶がある。その後もう一度見たと思うが記憶が定かではない。大観覧車、下水道、そしてラストの並木の場面が印象深く記憶に残っている。アントン・カラスのチター演奏によるテーマは有名で、誰もが一度は耳にしたことがあると思う。

 この大観覧車は1897年に作られたが、第2次世界大戦の空爆で破壊され戦後再建された。その時
安全性を考慮して客車の数を15に減らしたそうだ。安全性を考慮?まさかそんなことはないとは思うが、逆説的に言うと戦前は危険な認識を持ちながら客を載せていたと言うことか・・・?

 15〜16人位乗れる客車に8人が乗り込む。上からただ吊ってあるだけなので、ガイドさんから景色が良いからといって片方に皆さんが集まると傾きますよ」と言われいた。上の方へ行くと
ウイーンの街中の眺めが素晴らしい。一周8〜15分かかる。客がり降りする度に客車がいったん停車するので、客の多い少ないで一周時間に差がでる。

 ホイリゲのある
グリンツィング村へ向かう。ホイリゲはウイーン郊外にある小さな居酒屋で、シュランメルと言う独特の音楽が奏でられ歌や踊りも披露される。ホイリゲとは”今年のワイン”を指しており、同時に今年度産の新しいワインを飲ませる居酒屋の意味も合わせ持つ。

 ホイリゲは1780年代に皇帝ヨーゼフU世が、1年間に300日以内の条件付きで葡萄栽培農家に自家製ワインを出す許可を与えたのが始まり。
店の軒先にAusgstecktと呼ばれる小枝が吊るしてある。これは皇帝から許可を受けた葡萄栽培農家が営業中であることを知らせる為に吊るした針葉樹で作った束で、ホイリゲの目印にもなっている。

 店に入ると時間がまだ早いのか客がほとんどいない。食事とワインが出て談笑せいると、しばらくして地元の人らしい一団が大勢入ってきて店内がにぎやかになってきた。「
グリュース・ゴット」がどこでもいつでも使える便利な挨拶と聞いていたので、あちらこちらで「グリュース・ゴット」を連発してきた。ここでも地元のおばさんの一団に「グリュース・ゴット」とやったら、「何で知っているの?」という顔をしていた。

 まもなくピアノ、ヴァイオリン、チェロのトリオ演奏が始まった。日本人かどうかは分からないが東洋系の女性がピアノを演奏している。客席のすぐ傍で歌手がものすごい声量で歌うので、腹の奥底まで歌声が響き渡る。歌に踊りと楽しいショウが続き、あっいう間に時間が過ぎていった。ここでもお決まりなのか、
フィナーレには「ラデツキー行進曲」が演奏された。歌手に踊り手、それに客も含めた全員の手拍子の大合奏・・・ここでもYさんはコンツェルトハウスに続きまたもや感激を味わった。Yさんはこれでますますお正月にウイーン楽友協会へ行きたくなったのでは・・・?
(注)画像をクリックすると、
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