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 3年ぶりに妻と京都を3日間訪れた。全く予定していなかったが、11月17日にたまたまInternetで京都の空き室を調べたら醍醐プラザホテルが空いている。 それに天気予報では3日間ともに晴れ・・・。と言うことで急遽新幹線とホテルを予約した。今までに数え切れないほど京都へ行っているが、こんなに旅行直前のホテル予約ははじめて。

 午前11時11分京都駅へ到着。JR奈良線で六地蔵駅まで直行、ホテルに荷物を預けて京阪電鉄宇治線で中書島へ向かう。中書島は何回も通過しているが、今まで一度も降りたことがない。
中書島の由来・・・「秀吉が誇る七本槍の一人朝散太夫中務少輔(脇坂安治)がこの地に邸宅を構えていた。中国風で中務を中書と言い、そこから脇坂安治を敬称で中書さんと呼んだ。

 中書島で下車してまずは真言宗醍醐寺派
長建寺へ向う。1669年ときの伏見奉行建部内匠頭政宇が中書島を開拓するにあたり、深草大亀谷の即成就院の塔頭多聞院を移築し弁財天を祭ったのがこの寺の起こりとされる。建部氏の長寿を願い長建寺と名づけられた。中書島には第二次世界大戦まで遊郭があり、また江戸時代には参勤交代の宿場街として大いに繁栄した。「島の弁天さん」と呼ばれ、朱塗りの土塀と中国風の竜宮門があでやかでかつての名残りが窺える。いかにも遊女がお参りに来るような雰囲気が漂ってくる。戦後の遊郭廃止に伴い、この寺の勢いも衰えることとなった。こじんまりとしてひっそりとした境内は往時の面影は見受けられない。

 長建寺の前を流れる河には十石舟、三十石舟が営業していて約45分ほどこのあたりを遊覧することができる。舟遊びも風情がありそうだったが、次の出発までけっこう時間があり今回は乗らなかった。

 お寺の前の橋を渡り反対側にぐるっとまわり込むと
月桂冠大倉記念館がある。1987年月桂冠が創業350年を迎えるにあたり1980年頃から記念事業の準備に着手、1982年その一環として記念館を開設し酒蔵を改造し酒造用具などを展示している。雰囲気のある建物に一歩足を踏み入れるといかにも昔の酒蔵の風情が感じられる。

 受付で入場料300円を払うと、「お土産です」と係員が何かを渡してくれた。袋を開けるとそこには
日本酒(1合瓶)が1本が入っていた。300円の入場料で1合瓶1本では会社の負担が大きいが、観光客が売店でお土産をたくさん買っているので充分にPayしていると思われる。館内では昔ながらの作業工程や月桂冠の長い歴史がこと細かに紹介されている。明治時代に使われていた酒造道具や古い酒瓶、ラベルなどが展示されている。1斗瓶、1斗樽の何と大きいこと・・・ただただ驚愕。こんな大きいものを何に使うのかと思ったら、そこには広告用との説明があった。

 中庭に出ると高い煙突がありその前で記念写真をとることができる。この煙突、どこかで見たことがあると思ったらガイドブックの写真などで見たことがある。建物内に戻ると利き酒コーナーがありおいしいお酒を呑ませてくれる。おいしいお酒を味わったすぐ直後に売店があるので、どうしてもお土産を買いたくなる。当然のことながら巧みな営業戦略・・・。

 月桂冠大倉記念館を出て、酒蔵の板壁が続くのどかでクラシックな街並みを歩く。かつての酒蔵がレストランなどに利用されている。どこかで昼食をとろうと思ったがどこも満席であきらめた。古い街並みをぶらぶら歩き寺田屋へ向かう。

 
寺田屋寺田屋騒動坂本龍馬の隠れ家(定宿)として有名で幕末の動乱の舞台となった船宿である。2階の龍馬が利用した部屋、遺品、写真などが公開されている(午前10時〜午後3時40分)。ここは現在も旅館として営業していて宿泊もできる(料金は朝食付き1泊7000円、素泊まり6500円)。但し日中公開していることもあり、チェックインは午後5時以降、チェックアウトは午前9時以前となっている。昔ながらの風情を残した旅籠の趣きがあり、このようなところに泊まってみるのも味わい深いかもしれない。ちなみに龍馬が暗殺されたのは三条大橋近くの近江屋だが、意外にこの寺田屋と勘違いしている人が多い。この近江屋の跡地がパチンコ屋になっていて石碑が残るのみ・・・。

 木造2階建ての寺田屋の玄関を入るといかにも昔の旅籠・・・と言った雰囲気が漂っている。急な階段を上がると何部屋かあり、その中の一つが坂本龍馬が逗留した「
梅の間」。床の間には龍馬の肖像画、写真、使用した刀、拳銃などが展示されている。柱には生々しい刃傷がくっきりと残っている。急な階段を1階に下りると(ここも手すりにつかまって下りないと危ない)小さなお風呂がある。1階には女将お登勢の写真、幕末の志士の集合写真などが飾ってある。

 1866年(慶応2年)龍馬は寺田屋に宿泊しているところを伏見奉行所の役人20名ほどに襲撃されたが、お登勢の娘おりょうのとっさの機転でかろうじて脱出することができた。襲撃時おりょうは入浴していたが、何者かに包囲されているのに気づき腰布1枚の姿で龍馬に危険を知らせた。龍馬はピストルで応戦し難を逃れたが
左の親指と人差し指を負傷した。この傷を癒す為におりょうを伴い薩摩に温泉旅行に出かけている。これが日本人初の新婚旅行とされる。

 寺田屋騒動とは・・・1862年(文久2年)薩摩藩国父島津久光は幕府に攘夷を迫るため家臣を率い上京。時を同じくして藩内の尊皇攘夷派の有馬新七など倒幕急進派は大阪藩邸を脱して伏見寺田屋に40名余りが集結し挙兵を企てた。彼らの動きは京都の薩摩藩邸に全て察知されており、島津久光は奈良原喜八郎ら8名(+藩士の家来1名)を寺田屋に遣わした。奈良原らは有馬達への説得を試みたが聞き入れられず、結局上意打ち、つまり薩摩藩士の同士打ち(双方に死傷者多数)という悲劇的な結末となった。

 近鉄の桃山御陵駅から東寺に向かう。弘法大師の命日にあたる
21日に東寺では弘法市が開かれ大勢の人で賑わう。加えて秋の観光シーズン、そして晴天かつ日曜日と重なれば大混雑は間違いない。妻はまだ一度も弘法市に来たことがなく混んでいようが混んでいまいが必ず連れて来るつもりだった。案の定東寺境内は人また人の波、広い境内には骨董、古布、金物、食べ物などありとあらゆる出店が所狭しと立ち並んでいる。時間があれば1日ここにいても飽きることはないだろう。ここでパッチワークに使う布などを買い、東寺をあとにして京都駅に向かう。

 京都駅から地下鉄南北線に乗り烏丸御池で東西線に乗り換え東山で下車。近頃は京都のあちらこちらで夜間ライトアップをしている。まずは天台宗延暦寺の三門跡の一つとして知られる
青蓮院へ。ここの不動明王は青不動として知られている。1878年の御所炎上の際に後桜町天皇の仮御所としたことから粟田御所とも呼ばれる。見どころは華頂山を借景とした室町時代の相阿弥作と伝えられる池泉回遊式庭園と、小堀遠州の手になると伝えられる霧島の庭・・・ここには何度か来た事があるが、残念ながら夜間ではこの庭の素晴らしさを感じることはできない。

 青蓮院の前の道を少し下がると、すぐに
浄土宗総本山知恩院に出る。ここは円山公園に近く、1619年建立の現存する木造としては日本最大の巨大な三門前には大勢の人、車で混雑している。いつ見てもこの三門の威厳、荘厳さにはただただ圧倒される。入山料を払って境内に入ると足元にライトがついていてその間を歩くようになっている。御影堂の前を通り右側に回りこむと方丈庭園に出る。白い砂に描かれた模様がくっきりと見えるが、何せ暗いのでそれ以外はどうなっているかよくわからない。しばらく歩くと大晦日のNHKの中継で出てくる大鐘楼の前に出た。この鐘を撞くところでTVで見た方が多いと思うが、そっくり返って力一杯全身で撞いているのだからまさに体力勝負。ところでよくよく考えると知恩院にも何度も来ているが、なんと大鐘楼を見るのは今回が初めてなのだ。意外なところに漏れがあったものだ。

 今回まわったライトアップしている寺院はどこも光量が少なく、それに加えてFlashの光量不足の為か良い写真が撮影できず残念な想いをした。次回ライトアップを見に行く時には、強力な外部Flashの購入とか何らかの対策が必要。

 四条河原町交差点近くのレストラン「サンチョ」で遅い夕食をとる。四条京阪から京阪本線に乗り、中書島で乗り換え京阪六地蔵に到着。ホテルに到着した時にはすでに午後10時をまわっていた。ライトアップがあるとどうしても夜も目一杯行動することになる。ご老体? の私にはかなりこたえる・・・がしかし明日も頑張るぞ!
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京都旅行記(2004.11)