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 プラハからバスでオーストリア国境を越えウイーンへ向かう。約4時間かかりウイーン市内へ到着。道路が車でやたら混んでいるので日曜日の為かと思ったら、たまたま街中でローラースケートの耐久レースがあり通行止めと一方通行が混雑を倍加していたようだ。おかげで昼食のレストランの遠くにバスを駐車することになり、だいぶ歩くことになった。

 1881年に完成した
美術史美術館にはハプスブルク家の膨大なコレクショが収蔵されている。ヴェラスケス、ルーベンス、ラファエロ、デューラー、レンブラント、ブリューゲルなどなど・・・。今回はここの見学はなし、おまけに翌日は月曜日で休館日では如何ともしがたい。実に残念無念。

 ブルク門からヘルデン(英雄)広場へ入る。広場の中ほどに、カール大公、オイゲン公、2つの騎馬像がある。
右手に新王宮、正面に旧王宮が見える

 
ホ−フブルク(王宮)はハプスブルク家の650年に亘る宮殿の歴史でもある。1220年頃に最初に要塞が建てられて以降、歴代の君主が増改築を繰り返し、1916年のハプスブルク家の崩壊まで続けられた。最終的に2000以上もの部屋を有する壮大な王宮となった。帰国後TVの放送の中で、「新しい君主が誕生すると、それまで使用していた部屋は使わずに新たに自分用の部屋を作った」と聞いた様に思う。とすれば、膨大な部屋数になるのは当然のこと。

 
旧王宮は16世紀にフェルナンドT世によりルネサンス様式に改築され、18世紀前半のカールY世まで居城として使われた。最後の皇帝フランツ・ヨーゼフT世と王妃エリザベートの居住空間20室が一般公開されている。ここも宮殿内の見学なし。

 
新王宮はハプスブルク家の末期の1881年から1916年にかけて、カール・フォン・ハゼナウアーとゼンパーオペラ座の設計者ゴットフリート・ゼンパーによりネオ・バロック様式で建てられた。アーチ型の建物の正面上方にハプスブルク家の象徴「双頭の鷲」が翼を広げている。現在は国立図書館、博物館になっている。中を見学することはできない。ヘルデン広場に立つとどうしても新王宮が目立つので、そちらに目が行ってしまう。 新王宮の裏手には王宮庭園がある。ブルクリングに面した所にモーツァルト像があり、像の前には花で模られたト音記号がある。像の白さ、赤い花、緑の芝生の対比による美しさが際立つ。

 
ゲーテ像の前を通り国立歌劇場の裏手にあるホテルザッハーへ向かう。ここでのお目当ては、ウイーン名物の一つ“ザッハートルテ”。さすが人気のスポットで、いわゆる「行列のできる店」。大勢客が並んで待っていたが、予約してあったのですんなり入れた。赤い絨毯が敷き詰められたカフェは優雅な雰囲気に満ちている。ウイーンナーコーヒーにザッハートルテ、現地で食するのはこれまた格別。本場の味は?むろんDelicious!帰りに日本へのおみやげとして35Euroのザッハートルテを買った。

 バスで
シェーンブルン宮殿へ。シェーンブルンとは“美しい泉”を意味する。17世紀初めマティアス帝が、この地にあった狩猟の森で美しい泉を見つけたことに由来する。1696年レオポルドT世が建築家フィッシャー・フォン・エアラッハに命じて建てさせたバロック様式の宮殿、夏の離宮として使われた。建築はマリア・テレジアの時代まで続き、完成時部屋数1441の宮殿。外壁はマリア・テレジアン・イエローと言われる黄色、マリア・テレジアはピンクの壁をお気に入りの黄色に塗り替えた。また内装をロココ様式に統一するなどの増改築を行った。

 正門から一歩足を踏み入れると広場があり、そこに噴水が2つある。噴水の向うに翼を広げたような長さ180mの宮殿がある。現在39の部屋が公開されているが、今回のツアーでは内部の見学なし。建物の右手から裏側の庭園に回りこむ。とてつもない広さで、ネプチューンの泉を越えて
グロリエッテまで行くとゆっくり歩いて片道20分、素晴らしい庭園なのでゆっくり散策したかったが時間の関係で断念。建物内部には入らない、庭園の見学時間も少ない、これではここへ来た気がしない。さすがにこれには欲求不満に陥った。

 今日の宿泊のRadisson SAS Palaisへ到着。夕食を済ませ再びシェ−ンブルン宮殿へ。オランジェリーホールで行われるクラシックコンサートを聴く。ホール内は観光客とおぼしき人で満員、日本人のグループも何組かいた。演目はヨハン・シュトラウスやモーツァルトなどウイーンゆかりの作曲家の曲が中心で、堅苦しい雰囲気ではなくお気軽に楽しめる。開演は9時頃、終わったのが11時頃。
9月22日(土) ウイーン 曇り 
中欧旅行記(2002.09)

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