第4段 * 東京庭園美術館 ‐旧朝香宮邸‐ *

 
JR山手線目黒駅から歩いて7分、白金台にある東京都庭園美術館へ出かけた。2004年2月1日まで、「アール・デコ様式 ー朝香宮がみたパリー」を開催している。ここは1933年朝香宮邸として建てられ、昭和22年朝香宮が皇籍離脱後一時首相公邸、国の迎賓館として使われていた。1983年より東京都立庭園美術館として一般公開されるようになっている。

 
朝香宮家は久邇宮朝彦親王の第8王子鳩彦王が1906年に創立した宮家。鳩彦王は1910年に明治天皇の第8皇女允子内親王と結婚、1921年に白金台のこの地に御料地1万坪!を下賜された。朝香宮鳩彦王は1922年に陸軍の軍事研究の名目でフランスへ単身留学、フランスでの刺激的な生活をEnjoyしていた。1923年従兄弟にあたる北白川成久親王夫妻と共にドライブに出かけ、パリ郊外で交通事故に会った。車を運転していた北白川成久王は死去、北白川成久王の妻房子妃殿下は重体(後に回復)、鳩彦王重傷を負った。急遽日本より允子妃殿下が鳩彦王看護の為フランスへ渡り、退院後も鳩彦王と共にEuropeにとどまり1925年帰国した。

 1925年7月パリで開催されていた現代装飾美術・産業美術国際博覧会(通称アール・デコ博覧会)を見学、大きな影響を受けたと言われる。
アール・デコ様式とは1925年様式とも言われ、1910年代から1930年代にかけてフランスを中心にヨーロッパに流行した工芸・建築・絵画・ファッションなど全ての分野に波及した装飾様式の総称。機能的でありながらも装飾美を兼ね備えたアール・デコ様式が、近年脚光を浴び注目を集めるようになった。

 アール・デコに魅了された朝香宮鳩彦王夫妻の邸宅は1933年5月に完成した。アール・デコの粋を結集したこの館、基本設計を宮内省内匠寮工務課が担当、戸田建設が施工を担当した。主要な7部屋の装飾と玄関ガラス扉の設計・制作を担当したアンリ・ラパンやルネ・ラリックらの当代屈指のアール・デコのデザイナーの知恵、宮内省内匠寮工務課の権藤要吉を中心とする日本人の知恵、これらが見事に融合している。また朝香宮夫妻も積極的に検討に加わり館の随所に反映されている。

 正面玄関に足を一歩踏み入れるとまずルネ・ラリック作のガラスのレリーフ像が迎えてくれる。その美しさには圧倒される。大広間にはアンリ・ラパンが手がけた大きなな香水塔が・・・1932年ラパンのデザインにより国立セーブル製陶所で製作された。ラパンの手になる陶器、絵画、家具、ルネ・ラリックのガラス工芸、ジャン・ヂュナンの鍛金、漆工芸品、ブランショの彫刻などなど・・・あまりにも見事でうっとりしてしまう。音声ガイドを聞きながら(有料)充分にアール・デコを堪能できた。館内は撮影禁止なので写真を皆さんにお見せできなのが残念!機会があれば一度訪れて見て頂きたい。

 1933年11月この館完成後、僅か半年後允子妃殿下が死去。短い期間とは言えとにもかくにもこの館に住むことはできたが、もっともっと楽しみたかったと思う。さぞや無念であったろう。一方鳩彦王は第二次世界大戦後にこの館を手放し、1981年93歳の天寿を全うした。お孫さんの話では鳩彦王はこの館についても多くは語らなかったと言う。鳩彦王は古き良き時代にどのような想いを持っていたのだろうか?
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