第7段 * 映画『猿の惑星』を見て *
昨晩映画『猿の惑星』の第一作をTVで見た。この映画を放映する度に見ている。1968年にはじまる5連作は全て見ているが、とりわけこの第一作が最も印象深い。
猿と人間の立場が逆転し猿が人間を支配している世界に宇宙飛行士テイラー達が地球と知らずに戻ってくる。地球でははるか大昔愚かな指導者により”核のボタン”が押され、人類は全てを失っていた。その後進化を遂げた猿が言葉を喋り道具を自由に操る。一方生き残った人間は単なる一動物として奴隷のように扱われている。まさに奢れる人間への警鐘を鳴らしている。初めて見た時ラストシーンに何が登場して来るのかワクワクしていた。そこに登場したのが「自由の女神」!何と言う衝撃的なラストシーン・・・主人公テイラーが核戦争により地球が滅んだ現実を知り、「一体、誰が滅ぼしたんだ!この地球を!」と泣き崩れる。
この映画が公開された1968年当時、ヴェトナム戦争が泥沼化、また東西冷戦の真っ只中、世界は極度の軍事的緊張状態にあった。第二次世界大戦後米ソによる核開発競争が激烈になり、繰り返し核実験が行われていた。いつ何時米ソ首脳により核のボタンが押されてもおかしくない状況にあった。
遡ること6年前、いわゆるキューバ危機が勃発。1962年10月22日アメリカ大統領J.F.ケネディは、キューバの建設中のミサイル基地撤去をソ連へ要求、カリブ海の海上封鎖を行うとの声明を発表した。これに対しソ連の首相フルシチョフは全面拒否、ミサイルを積んだ船がキューバへ向かっていた。もしこのままソ連船がキューバへ向かえば米ソの全面対決は必至、キューバの首相カストロは全軍に臨戦態勢を命じた。この危機的状況に当時の国連ウ・タント事務総長や中立諸国が動き、また米ソの水面下での活発な交渉が進められていた。10月28日にフルシチョフはミサイル撤去を、ケネディは海上封鎖の中止を決定、ギリギリのところで核戦争は回避された。当時中学生の私には詳しい状況がよくわからなかったが、Newsを見て非常に危険な国際関係であることだけはわかった。その後TVでキューバ危機を何度も見て、その恐ろしい真実に肝を冷やした。
昨年末NHKで「映像の世紀」を放映、私は全て見た。世界各地の紛争が随所に出てきた。20世紀は初めから終わりまで・・・と言うより”人類の歴史を通して”と言った方が正しい・・・世界のどこかで戦争が行われている。何故人間はこれほど戦争が、殺し合いが好きなのかと言いたくなる。いいかげんにして欲しい。何故人間はこれほどに憎しみあわなければならないのか!20世紀には日露戦争、第一次世界大戦・・・第二次世界大戦、朝鮮戦争、ヴェトナム戦争、パレスチナ紛争、アフガニスタン内戦、イラン・イラク戦争、湾岸戦争、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争などなど・・・そして21世紀に入りイラク戦争・・・。戦争で喜ぶのは”死の商人”だけ、一般民衆は苦しむだけ。戦争は原水爆、ICBM、生物・化学兵器など次々と新たな兵器を産み出す。破壊力の増した兵器が戦場で使用され被害は益々拡大する。究極の行き先は・・・むろん人類の滅亡、何が何でもこのような事態は避けなければならない。
領土争い、民族問題、宗教問題・・・これらが複雑に絡み合ってもめごとは起こる。単純には言い表せないような状況が随所のある。過去に遡るとそれこそ紀元前にまで至るもめごともある。世界各地には戦争の火種を抱えた地域が数多くある。極端に言えば人類がある限り紛争は続くのだろうか?
戦争は人間を極限状態に追い込み、時として自らの行為を正当化させ狂気の行動に走らせる。また自らの行為を正当化させ戦争を起こす事態も頻繁に起きている。ナチスのユダヤ人虐殺、日本のカミカゼ特攻隊や人間魚雷”回天”、ソ連の日本人シベリア抑留、アメリカの広島、長崎への原爆投下など・・・。自爆テロ、ニューヨーク9.11テロ、イラクでの生物・化学兵器によるクルド人虐殺なども同様。戦争に大義があるとはとうてい思えない。どれをとっても正当化されるものではない。
1月4日放映のNHKの時代劇「大友宗麟」での一場面、フランシスコ・ザビエルが大友宗麟に向かってこう言った。『戦いは何の解決にもなりませぬ。ただ憎しみの連鎖があるのみでございます。』 まさにこの言葉の通り延々と続く紛争の連鎖は、憎しみの連鎖にほかならない。この連鎖を断ち切る術はないのか?「〇〇は死ななきゃ直らない」と言うが、人類は永遠に〇〇なのだろうか?