第9段 * 『第28期囲碁棋聖戦』開始 ‐若手の対決‐ * (2004.3.18追記)

 
1月15日から囲碁のビッグタイトル『第28期棋聖戦』が開始される。第一局はアメリカのシアトルで行われる。今までに棋聖戦は27期を数えるが、タイトル保持者は僅か6人しかいない。それだけ連覇が多いということ。藤沢秀行九段の6連覇、小林光一九段の8連覇、趙治勲九段の3連覇と4連覇など。昨年王立誠棋聖に山下敬吾七段が挑戦し、4勝1敗で棋聖位を奪取した。山下棋聖が何度防衛できるか興味が尽きない。

 ところで
第28期挑戦者は若手四天王(山下棋聖、張本因坊・王座、羽根天元、高尾八段)の一人羽根直樹天元、山下棋聖にとっては大変な難敵。この二人もこれから長年に渡り大舞台でタイトルを争うことになるだろう。棋聖戦7番勝負、共に20代実力者の対戦で好勝負が期待できる。この二人は昨年天元戦5番勝負を戦ったばかり、羽根天元が3勝2敗でタイトルを防衛した。山下棋聖は2003年下期に名人戦、天元戦と相次いでタイトルに挑戦したが奪取はならなかった。一つ気になることがある。近頃の棋譜を見ると山下棋聖にタイトル奪取した頃の冴えが少々失われているのではといささか心配。早く調子を取り戻し欲しい。そして歴史に残る若き二人の名勝負を心待ちにしている

 山下棋聖は小学2年の時史上最年少で小学生名人となった。NHKで放映されその時の様子は良く覚えている。見事な打ち回しには解説者も盛んに感心していた。その頃から既に将来の名人候補と言われていた。北海道から単身上京しアマチュアの強豪菊池康郎氏に師事、14歳で入段、2000年に七大タイトルの一つ『碁聖』を獲得。順調に成長を続けている。

 羽根天元は日本棋院中部総本部の実力者羽根泰正九段の次男、いわば棋界のサラブレッド的存在。15歳で入段、2001年『天元』を奪取、以後2期連続防衛を果たしている。父泰正九段も以前天元のタイトルを獲得しており、親子同一タイトルの獲得で大きな話題になった。

 私が囲碁を覚えたのは中学1年の頃、小学生の頃は将棋が好きで本を買い勉強していた。当時囲碁をしていた友人に囲碁を教わり、将棋とは異なる世界を見てその魅力にとりつかれた。逆に私はその友人に将棋を教えていた。将棋の最終的な狙いは唯一つ、敵の大将の首をとること。一方囲碁はお互いに勢力を張り合い、戦闘を繰り返して境界を争い最終的に陣地の大きい方が勝ち。将棋は個々の駒にそれぞれの役割があり動きかつ連携し、それに加え敵陣に成り込むことにより駒の役割が変化する。一方囲碁は個々の石の役割は同一かつ動かず、しかし個々の石と石との有機的な連携により複雑な意味を生む。つまりゲームとしての質は大きく異なっている。おそらく私の性格は囲碁に合っていたのだろう。私と友人はその後全く入れ替わり、私は囲碁、友人は将棋を趣味とし、後日二人共有段者になった。

 高校1年の時腕試しに朝日アマ十傑戦に参加した。会場は市内の碁会所で日本棋院の県支部を兼ねている。1回戦の相手が碁会所の経営者で県支部の責任者(当時アマ五段)、私は健闘し相手の大石をもう一歩まで追い詰めたが最後に詰めを誤り大魚を逃した。その時の善戦が評価され、碁会所に出入りする様になった。その当時は碁会所でアマ三段格で対局していた。高校3年の頃当時始まって間もない頃の高校囲碁選手権の全国大会への参加の声をかけられたが、大学受験、それに当時新幹線もなく東京は遠く断った。当時今とは違い高校生の囲碁人口ははるかに少なかった。今にして思えば参加していればどうなったか?もしかしたらある程度の結果を出してもっと囲碁にのめりこんでいたかもしれない。一級下にはアマ囲碁界の強豪今村文明八段がいる。中学生の頃から既に県代表になる位の実力があった。朝日アマ十傑戦県大会が碁会所であった時にわざわざ彼の顔を見に行った記憶がある。大学合格後は麻雀にうつつをぬかし道を誤まってすっかり囲碁から遠ざかり、TVや新聞で棋譜をみる程度だった。囲碁に復帰したのは15年位も後のこと。

 昭和57年初め何故か突然囲碁への気持ちが復活し、段位免状を正式にを取得したいという強烈な欲求が燃え上がった。とにかくあの頃は猛烈に囲碁の勉強をした。モチベーションが高い時はどんな苦労も何とも思わない本をたくさん買いこんで定石、詰め碁、手筋などの勉強、更に日本棋院まで出かけてプロの指導碁、段位認定大会参加など・・・。やはり良く勉強していただけあって自分としては当時が最強。正確には覚えていないが、プロ五、六段に三子で勝率4割位と思う。初段から一々取得するのは面倒と四段から挑戦、昭和57年7月3度目の段位認定大会で4連勝して無料(参加料は1回5000円)でアマ四段免状を取得。その後勢いで昭和57年9月にアマ六段免状を取得。アマ六段免状は私の一生の宝、あの世まで持って行くと唯一既に遺言を残している(笑)。ある時日本棋院で段位認定大会に参加した時のこと、人だかりができているので覗いて見るとそこには小さな女の子が六段に挑戦している。無茶苦茶強く、周りで大人が感心して見ている。その子は現在の祷陽子五段、プロ女流棋戦で活躍している。

 私が高校生の頃プロ碁界は坂田栄男九段の全盛時代、全てのタイトル独占するなど無類の強さを誇っていた。私も坂田九段の棋譜をならべて随分勉強したものだ。高川格九段の本因坊9連覇、、藤沢秀行九段の棋聖6連覇などの輝かしい記録も印象に残っている。その後大竹英雄九段、林海峰九段、石田芳夫九段、加藤正夫九段、小林光一九段、武宮正樹九段などきら星の如く次々とスターが現れた。それに忘れてはならないのが趙治勲25世本因坊、本因坊戦10連覇(通算12期)、名人戦5連覇(通算9期)、棋聖戦4連覇(通算8期)などの実績はピカ一。

 
私個人としては呉清源九段が昭和の棋士(それ以前は比較が難しい)では最強と思う。台湾でその才能を見出され来日、華々しい活躍をしたのは周知の通り。台湾出身棋士の流れはその後林九段、王立誠九段、王銘エン九段、そして張本因坊と受け継がれている。第二次世界大戦を挟んで『打ち込み十番碁』を何度も打っている。この『十番碁』、封建時代の申し子で今は無き果し合い形式のまさに真剣勝負と言えよう。タイトル戦は負け越してもタイトルを取れないだけ、別の機会に取り戻せば良い。しかし『十番碁』は4つ勝ち越さないと勝利したとは言えない。打ち込むのが難しい反面、打ち込まれたら取り戻すのが大変。それに一度打ち込まれると逆に打ち込まないと永遠に取り戻すことができない。非常に厳しい手合いである。呉九段と藤澤庫之助九段との2回の『十番碁』は圧巻。お互いの名誉をかけて壮絶な死闘が繰りひろげられた。藤澤九段は日本棋院の庇護のもとにあったが、呉九段は当時何の庇護もなく打ち込まれれば即棋士生命を失いかねない状況にあった。結果は呉九段の圧勝、藤澤九段が定先に打ち込まれた時点で『十番碁』は中止された。これを最後に『十番碁』はその後一度も行われていない。坂田九段は定先に打ち込まれており、そんなことは現実にはありえないがもし二人が一局ということになれば坂田九段が常に先番(黒番)ということになる。今の棋士は『十番碁』に無縁で幸せな時代に生きている。2004年1月13日の新聞で「日本棋院創立80周年記念行事の一つとして 『囲碁の殿堂』 の計画があり、呉九段も殿堂入りの候補に挙がっている。」と報じている。昭和囲碁界の最大の功労者呉九段の功績を未来永劫伝えて欲しい

 将棋の世界はだいぶ前に「羽生世代」と言われる若手が台頭し今や将棋界を席捲、将棋人気を大いに高めた。囲碁の世界もようやく20代の若手が台頭してきて活性化してきた。何の世界でもそうだが、
新しい力、若い力が台頭し新陳代謝が進んでいくことにより脚光を浴びる。囲碁の人気に蔭りが見え若い世代の囲碁人口が減った。「ヒカルの碁」のブームで子供の間でも囲碁人気が盛り返してきたが、この人気を継続していく為にはやはり将棋の羽生名人の様に皆に注目されるようなスターの存在が必要。囲碁界にも山下棋聖ら若手の『期待の星』が誕生、今後の更なる活躍で盛り上がりへの光明が見えてきている

2004.3.18追記

 山下棋聖の3連敗3連勝を受けた最終局はスリル満点の大激戦の末、
黒番羽根天元が155手で中押し勝ちを収め棋聖位を奪取した。羽根天元の攻め合い一手勝ちと言う実に際どい決着である。最初羽根が3連勝した時には一方的に終わるかと思えたが、それからの山下の巻き返しがすごく最終局までもつれ込む。過去に3連敗3連勝は5回あり、後から3連勝した方が全て勝っている。データ的には山下有利であったが、羽根がその重圧を跳ね返した。若い力と力の激突は見応えがあった。この二人に張本因坊、高尾八段を加えた若手四天王を中心とする囲碁界は盛り上がり、近頃落ち目になったと言われている囲碁界は息を吹き返すと思う。やはり世代交代はどの世界でも活力剤になる。永年の囲碁ファンとしては嬉しいことである。
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