第26段  ハプスブルク家 その成り立ち Part7 * レオポルトT世、そしてカールY世 *

 1657年フェルディナンドV世の次男レオポルトが神聖ローマ帝国皇帝レオポルトT世となった1654年彼の兄フェルディナンドW世として皇帝位に就くが、僅か2ヶ月足らずでこの世を去ってしまった。レオポルトは小さい頃から聖職者となるべく宗教教育を受けていた。本来であれば政治とは無縁で一生を送るはずのレオポルトは、一転して政治の世界に引きずりこまれることになる。室町幕府の六代将軍足利義教の場合によく似ている。彼は足利義満の子でいったん出家して義円を名乗ったが、兄の四代将軍義持の死に伴い後に還俗して将軍の座に就くことになる。レオポルトの場合も還俗して皇帝位に就いたが、果たして幸せだったかどうか?

 
レオポルトT世の敵はフランスだけではなく、オスマン・トルコ、この帝国も虎視眈々と神聖ローマ帝国を狙っている。この両者は互いに異教徒にも関わらず「打倒ハプスブルク」で利害が一致した。オスマン・トルコはブルボン王朝には何度も使節を送っている。こんなエピソードも残っている。1669年7月のエピソード・・・”オスマン・トルコ皇帝の使節がヴェルサイユ宮殿にルイ]W世を訪問した時のこと、使節ソリマン・アガは太陽王へトルコ・コーヒーを献上。太陽王をはじめ参列していた一同はたちまちコーヒーに魅了された。これがフランスのコーヒー文化の始まり。” 

 
レオポルトT世はオスマン・トルコと2度(1661年〜1664年、1682年〜1697年)戦った1683年7月オスマン・トルコは30万の大軍でウイーンを包囲した(第2次ウイーン包囲)。この時ウイーンを率先して守るべき皇帝は、守るところか何とさっさと逃げ出してしまった。さて困ったのは取り残された守備隊とウイーン市民、仕方なく籠城戦術でオスマン・トルコ軍の猛攻にただひたすらに耐えるのみ。包囲は3ヶ月にもなり陥落寸前まで追い込まれた時、ようやく援軍が駆けつけオスマン・トルコ軍を蹴散らした。ウイーンは窮地を脱することができたのだが、それにしても情けないのは皇帝レオポルトT世。この1件を見ても彼が政治向きでないことは明らか。尚この時オスマン・トルコの総大将カラ・ムスファはこの戦いに破れ敗走し、責任をとらされてベオグラードで処刑された。まさに”戦さは命懸け、勝利こそ全て”、と言ったところだ。

 ところでこの時のオスマン・トルコの遺留品にコーヒーの実が入った大量の袋があった。ウイーン籠城戦の最中重包囲網を突破し救援要請を敢行したトルコ通のコルシッキーがコーヒーの入った袋の払い下げを受けた。この時にウインナー・コーヒーが誕生した。
この2つの出来事のお蔭でヨーロッパではコーヒーの虜になり、そして後世日本へも伝わる。私もコーヒーが好き、だからコーヒーを世に広めたこの時代の人に感謝しないと・・・。

 レオポルトT世は大した功績を残さなかったが、珍しく自分の意思を貫き周りの反対を押さえ
フランス出身の将軍オイゲン公を採用したのが大ヒットと言える。ウイーンの王宮の中庭には騎馬像が2つあり、その内の一つがオイゲン公である。オイゲン公は当初ルイ]W世に仕官を願ったがあっさり追い払われてしまった。それではとルイ]W世に一矢をむくいるべく宿敵ハプスブルク家に仕官を願い出たのである。後にオイゲン公の活躍でフランス軍が打ち破られた時には、さすがのルイ]W世も地団駄踏んで悔しがったことだろう。

 
オイゲン公は1683年のウイーン包囲の時皇帝軍に将校として参加、以降メキメキと頭角を現わす1697年ドナウ河支流のタイス河畔ゼンタの戦いでは彼は最高指揮官としてオスマン・トルコ軍に完璧な勝利を収めた。1699年カルロヴィッツ条約が結ばれハンガリー全土をほぼ掌中にした。これでこれ以降のオーストリア帝国の礎を固めたと言っても良い。

 
1700年病弱なスペイン王カルロスU世が嫡子無きままこの世を去ると、ハプスブルク家とブルボン家でスペイン王位継承を巡って争いが起きた。レオポルトU世はカルロスU世の妹を、一方ルイ]W世はカルロスU世の姉を王妃としている。ルイ]W世はフェリペX世をスペイン王に就けるが、むろんレオポルトT世がそんな事を認めるはずがない。両者は王位継承を主張し、互いに譲らず1701年9月スペイン継承戦争が勃発する。フランス一国(バイエルンはフランスに味方していた)に対してオーストリア、イギリス、オランダ、プロイセン、ポルトガルなどの連合軍の対決となった。以前とは逆にフランスの権勢の強大化を恐れる諸国が一致団結して対抗したのである。オイゲン公はこの戦いでも諸所で戦功を挙げたが、最終的にはこの奮闘はハプスブルクの勝利には繋がらなかった。尚彼はレオポルトT世、続いてヨーゼフT世、カールY世の3代の皇帝に仕え、ハプスブルク家の隆盛に尽力した。

 余談ながら
レオポルトT世は夏の離宮としてウイーンにシェーンブルン宮殿を、オイゲン公はヴェルベデーレ宮殿を造営したのである。いずれもウイーンへ行けばほとんどの観光客が訪れる場所。ルードヴィッヒU世のノイシュヴァンシュタイン城やヘレンキームゼー城などへ観光客が大勢訪れドイツの重要な観光資源となっているのと同様に、現在では観光の国オーストリアに大いに貢献している。すると先人の先行投資?が現在に脈々と息づいているということか・・・。当時の一般庶民を見ることができなかったこの様な素晴らしいものを見ることができる現代の人達は幸せなのだろう。

 スペイン継承戦争の最中
1705年にレオポルトT世がこの世を去ると、彼の長男がヨーゼフT世として皇帝位を継ぐ。父とは異なり意欲充分の皇帝で、スペイン・ハプスブルク家の血筋が絶えてスペイン王位がフランスの手に渡るのを阻止しようと考えるのは当然のこと。フランスは劣勢に立たされ、スペインでのハプスブルク家の勝利が近づいてきたかに見えた。さすがのフランスもこれだけ多くの国を敵に回しては支えきれなくなりつつある。皇帝の弟カールがスペイン国王カルロスV世として、念願のスペイン・ハプスブルク家再興を果たすはず・・・だった。

 ところがここで
かつてハプスブルク家を応援した”偶然”と”幸運”が逆にブルボン家に味方したのだ。これも時の勢いなのか、時流はフランスに傾いていた。いつでも同じところにばかり味方していたのでは歴史が面白くない。天上の方は実に気まぐれ、だからこそ波瀾万丈な展開が繰り広げられる。1711年”救世主”皇帝ヨーゼフT世が僅か在位6年で、この世に未練を残しつつ天然痘で亡くなった。ヨーゼフT世の弟カールがカールY世として皇帝位に就く。ところが彼はスペイン継承戦争勝利すればスペイン王が約束されていた人物である。このままではかつてカールX世が築いた「日の没することなき世界帝国」が復元することになる。これはたまらないとヨーロッパ諸国は警戒し、逆にハプスブルク家は支持を失い孤立した。カールT世はオイゲン公と共に孤軍奮闘したがさすがに無理で、1713年のユトレヒト条約でスペインはブルボン家に帰属することになる。これぞまさに”棚からぼた餅”、死に体のフランスはスペインを掌中に収めた。これでカールX世から約200年間続いたスペイン・ハプスブルク家は完全に消滅した。

 
1714年皇帝カールY世はスペインとラシュタット条約を結び,スペイン王位継承権放棄の代償としてネーデルランド、ミラノ、ナポリなどを獲得した。またオスマン・トルコとの戦いにも勝利し,1718年バッサロヴィッツ条約を結びハンガリー(オスマン・トルコの勢力範囲の地域)とセルビアを獲得した。スペインを失ったものの、オーストリアから東ヨーロッパにまたがる大帝国が出現した。皇帝はスペインで長く生活していたこともあり、その敬虔から海外貿易の重要性を認識していた。それでネーデルランドに東インド会社を創設し海外発展の礎を築くと共に、アドリア海の港湾都市トリエストの振興育成に努めた。やがて「相続順位法」と引き換えに東インド会社を失うことになるが、一方トリエストは女帝マリア・テレジアの支援を受けてオーストリア帝国の海外交易の中心地としてますます発展していく。

 
カールY世は従来の慣例を破り長子相続制を確立した。1713年国事詔書を発布して「領土の永久不分割と長子相続制」を定めた。その後1716年長男を失い長女マリア・テレジアの継承実現に奔走し,1724年彼女の王位継承令を公示した。皇帝には嫡男がなくそれが頭痛のタネだったのである。領土が小さく分割されるのを防ぐのが目的でもあるが、最大の狙いは長女マリア・テレジアを継承させることでハプスブルク家の断絶を防ぐことである。この為に皇帝は多大な屈辱的な犠牲を払うが、とにもかくにもマリア・テレジアの王位継承権を確保。しかし1740年の皇帝がこの世を去ると、周囲の列強はとたんにマリア・テレジアに牙を剥きオーストリア継承戦争、七年戦争と続いていくのである。マリア・テレジアについては第17段第18段第19段を参照されたい。

 マリア・テレジアの後息子のヨーゼフU世、レオポルトU世が相次いで皇帝位に就くが、ヨーゼフU世は実質10年(在位は25年、当初15年は母との共同統治)、レオポルトU世は僅か2年の治世のみでこの世を去った。この2人が短命政権に終わったことで、ハプスブルク家の行く末に暗雲が漂うことになった。その後レオポルトU世の長男フランツU世(オーストリア皇帝フランツT世)の時代に、神聖ローマ帝国は終焉を迎える。フランツU世は国名を「オーストリア帝国」と改め、以降1918年まで継続する。そのあたりは次章で触れることにする。
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