第29段  ハプスブルク家 その成り立ち Part13 * オーストリア帝国の終焉 *

 
皇帝フランツ・ヨーゼフT世は68年の治世の末期に呪われたかの様に相次いで悲劇に襲われる。最初は1867年実弟マキシミリアンがメキシコで殺害される。ナポレオンV世の奨めで”メキシコにハプスブルク帝国を”と渡航し、フランス軍の支援で彼はメキシコ皇帝に就く。しかし1866年フランスはメキシコから撤退し、マキシミリアンは孤立し翌年ケレタロで33歳の若さで独立軍に銃殺された。

 
1889年1月には唯一の息子ルドルフが愛人マリー・ガスパルとピストル自殺を遂げた。これは「マイヤーリングの悲劇」と言われる。帝位継承者のスキャンダラスな死は皇帝に多大な衝撃を与えると共に、全世界にオーストリア=ハンガリー二重帝国の威信失墜を世に知らしめた。ルドルフは”ハプスブルクの期待の星”として将来を嘱望された。しかし父は多忙、母は不在がちで、薄幸な王子には両親の愛情が欠如していた。それに自分の意に沿わぬ王妃をあてがわれて面白いはずがない。父には自分の意見を退けられ政治に参画させてもらえず、父への反発を深めていったと思われる。結局彼は現実から逃避し、見目麗しき女性にのめり込んで行ったのも無理からぬことであろう。

 ルドルフの死でフランツ・ヨーゼフT世は、
弟カール・ルードヴィッヒの長男フランツ・フェルディナンドを皇帝後継者に定めた。フランツ・フェルディナンドはオーストリア=ハンガリー二重帝国を解体し、オーストリア・ハンガリー・スラヴによる三重帝国構想を掲げる。彼はドイツとロシアとオーストリアによる三帝同盟を目指し、中でもドイツのウイルヘルムU世に接近していた。これは「大セルビア主義」者を刺激し後の悲劇に繋っていく。

 
1889年10月更なる悲劇が皇帝を襲った。皇帝最愛の王妃エリーザベトがスイスのレマン湖畔でイタリアの無政府義者に暗殺された。しかしこれは初めから王妃を狙ったのではない。テロリストは当初はフランス要人を狙ったが急に来なくなり、標的を急遽変更してエリーザベトを襲ったのである。初期の狙いが消えたらたまたまそこに王妃がいただけということなのだ。不運な話とも言える。

 
ここでバルカン半島情勢に目を向ける。オスマン・トルコ帝国の衰退と共にロシアがバルカン半島に狙いをつけ、その結果民族運動が激化することになった。第四次露土戦争(1828年〜1829年)でロシアが勝利、ギリシアの独立、セルビアの自治をオスマン・トルコに認めさせた。第五次露土戦争(1853年〜1856年)ではロシアは敗北したものの、第六次露土戦争(1877年〜1878年)においてもロシアは優勢で1878年トルコとサン=ステファノ条約を結び黒海北岸の領土を更に広げた。この時セルビア・モンテネグロ、ルーマニアは完全独立し,広大なブルガリア自治公国が成立した。ロシアの勢力拡大を恐れた列強諸国はベルリ会議で、当初のサン=ステファノ条約は大きく修正した。ブルガリア領を縮小させた。ルーマニア、セルビア・モンテネグロ、ブルガリアは大幅に領土を縮小されることになった。これでロシアは露土戦争で得た利益を失い、オスマン・トルコは領土を大きく失い衰退を加速する。

 一方
オーストリアはボスニア・ヘルツェゴビナの行政権を獲得する。しかしオーストリアはこれにより厄介な問題を背負い込むことになる。ここにはカトリックのコロアチア人とギリシア正教のセルビア人がいたが、オスマン・トルコ帝国の支配下でイスラム教も浸透していた。オスマン・トルコから独立を果たしたセルビア・モンテネグロは、自国と国外のセルビア人の統合により”大セルビア”国家の建設、いわゆる「大セルビア主義」を掲げる。その矛先はセルビア人のギリシア正教徒が40%を占めるボスニア・ヘルツェゴビナに向けられた。この火種は後に大爆発を引き起こし、第1次世界大戦へ繋がっていく。

 1908年オーストリアはボスニア・ヘルツェゴビナを併合する。また1912年〜1913年のバルカン戦争で、バルカン同盟諸国(ブルガリア、セルビア、ギリシア、モンテネグロ)が落ち目のオスマン・トルコ帝国を破り領土を拡大する。1914年6月極度に緊張が高まる最中、民族運動抑圧を声高に叫ぶフランツ・フェルディナンド夫妻がこともあろうに最も危険なボスニア・ヘルツゴビナの首都サライェボを訪問したのである。サライェボでの夫妻の行動は明らかになっていたので、テロリストは用意周到に準備をしていた。しかし警戒が厳重で何事もなければ無事に終わるはず・・・だった。ところがここにも偶然が付き纏う。思わぬ爆発事件の為予定の道筋が変更になり、警備が手薄になったところを狙われ夫妻はテロリストの銃弾に倒れたシェーンブルン宮殿のフランツ・ヨーゼフT世のもとに夫妻の訃報がもたらされた時、皇帝は「私が残念ながら維持できなかった秩序が、神の御手により回復されたのだ」と呟いたそうだ。

 フランツ・フェルディナンド夫妻の暗殺から1ヶ月後、1914年7月オーストリアはセルビアに宣戦布告した。ロシアも参戦、ドイツもロシア、フランス、イギリスに宣戦布告、更に日本やアメリカを巻き込む世界大戦に発展した。
第1次世界大戦の最中1916年11月皇帝フランツ・ヨーゼフT世はこの世を去った本来ならばフランツ・フェルディナンドの息子が皇帝位を就くはず・・・しかしフランツ・フェルディナンドがゾフィ・ホテクとの貴賎結婚(身分違いの結婚)を認めてもらう代償に子供の相続権を全て放棄していた為、カールが唯一の皇帝位継承者であった。ハプスブルク家最後の皇帝カールT世が誕生した。

 
カールT世は戦争の早期終結を望んでおり、帝国の領土を割譲したとしてもハプスブルク家は存在するものと思っていた。事実連合国側も当初は帝国解体は考えていなかった。ところが
1918年春「ジクストゥス事件」が明るみに出て様相は一変する。カールT世の妻ツィタ・フォン・ブルボン・パルマ・・・名の示す様にブルボン家の末裔・・・の2人の兄はカールT世夫妻と密かに接触し、フランスとオーストリアの和平を画策した。ウイーン南方のラクセンブルクでフランス外相を交えて密談を交わしたのである。戦争中に事もあろうに敵国と接触したのだからオーストリアの人々には”卑劣な裏切り”と見なされた。余計なことをしたのである。フランス革命の時にルイ]Y世夫妻がパリからオーストリアに亡命を試みて失敗、ブルボン家が存続できなくなった場合とよく似ている。これで全てが終わった。もはやカールT世の執るべき道は唯一つ、『退位』のみしかなくなった。1918年11月12日カールT世は「退位文書」に署名、ここに名門「ハプスブルク家」は終焉の時を迎えた。1920年トリアノン条約によりハンガリーは独立、これで完璧にオーストリア帝国(=ハプスブルク帝国)は消滅したのである。

 カール夫妻はスイスに亡命したがおとなしくはしていなかった。
彼らは ”オーストリア皇帝は退位したが、ハンガリー王位は掌中にある” と思っていた。1921年3月機を見て彼らは密かにオーストリア経由でブダペストへ入国した。そこでかつての帝国提督ホルティと会う。カールはブダペストへ行けばハンガリーの人々は自分を国王として歓待してくれるものと確信していたのだ。ハンガリーはもともとハプスブルク家を快く思っていなかったのだから、国王として受け入れるはずがない。それでもホルティはカール夫妻を逮捕せずに国外に逃亡させた。せめてもの恩返しと言うところか・・・。カールは2度と国際政治には介入しないと世界に向かって誓ったはず・・・だった。ところが「自分は悪くないのに何故こんな目に会うのか」と思っているのだから、何とかして自分の立場を回復しようと悪あがきをする。それに自分が動けば大勢ついてくると未だに信じている。

 これでおとなしくしていれば良いものを1921年10月カール夫妻はまたブダペストへ舞い戻った。今度は自分達が行けば軍部が蜂起して歓迎してくれると思い込んでいたのだから始末が悪い。国境の町エーデンブルクでブダペスト行きの列車を待っている時に彼らは逮捕された。今度は許されるはずもなく、
彼らは大西洋にあるポルトガル領マディラ島に流されたハプスブルク家最後の皇帝は1922年4月この島で一生を終えた。一方ツィタはスペイン王アルフォンソ]V世に助けられ、その後流転の人生を送った。彼女はベルギー、アメリカ、カナダ、そして1962年にスイスに移り住み、1989年3月に97年の波瀾万丈の生涯を閉じた

 ハプスブルク家の始まりから終焉までを見てきたが、改めて
中世以降のヨーロッパの歴史はこの名門を抜きには語れないことを認識した。登場人物も多種多彩、ローマ教皇、ドイツ諸侯、スペイン王家、フランス王家、オスマン・トルコ帝国、ロシア・・・などから個性豊かな人物が次々と現われる。そしてまさに”事実は小説より奇なり”を地で行く史実が展開する。まるでヨーロッパを舞台とした壮大な「大河ドラマ」を見ている観がある。とにかく面白く興味を惹かれる出来事が次から次とあり、私は「ハプスブルク」をテーマに随筆風味を書いている内にこの”摩訶不思議な世界”に引き込まれ夢中になった。

 ヨーロッパの歴史にだいぶ詳しくなったと思うが、それでもまだだ一部を垣間見ただけにすぎない。古代ローマ帝国、東ローマ帝国(ビザンツ帝国)、オスマン・トルコ帝国などにも興味を惹かれる。これらはいずれテーマとして取り上げるとする。ハプスブルク家の歴史を通して「神聖ローマ帝国」の歴史も一部垣間見ているが、
次は「神聖ローマ帝国」とは何者かをじっくりと解析していく。


                          * 完 *
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