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第49段 * 映画「戦場のピアニスト」を見て * 

 
昨日TVでロマン・ポランスキー監督作品の映画「戦場のピアニスト」を見た。TVの特集番組で荒筋は知っていたがきちんと全部見たのは今回が初めて。実在のユダヤ人ピアニスト、ウワディスワフ・シュピルマン(1911〜2000)の実体験を綴った回想録を基に描かれている。ロマン・ポランスキー監督自身もゲットーで過ごした経験を持っている。だからこそ真に迫った作品になっていると言えよう。冒頭とEndingで流れるChopinの”ノクターン(遺作)”がこの映画の大ヒットで大ブレークしたのでご存知の方も多いと思う。あの哀愁を帯びた切ないメロディーは映画の辛く物悲しいストーリーにダブラせてしまう。

 この映画を見てあらためて
戦争の残酷さ、悲惨さ、理不尽さ、無意味さを痛切に感じる。人間はなんて愚かなんだろうか?戦争という極限状況の中では人間は理性を失いいかに狂気になるか・・・この映画の中でも示されている。ドイツ将校が整列したユダヤ人の中から無作為に何人かを選び出し、まるで”虫けら”同然にいとも簡単に射殺する。ユダヤ人を列車で強制移住させる時、ドイツ兵が「どこへ行くのですか?」と尋ねた女性の額を拳銃で撃ち抜く。また行進しているユダヤ人を将校がいきなり鞭打つが、「何故鞭打つのか?」と聞かれて「クリスマスだから楽しみが必要」と将校が酒を煽り笑いながら答える。まさに鬼畜の所業としか言いようがない。人間はここまで冷酷になれるのだろうか?イラクで捕虜収容所でアメリカ軍の捕虜虐待が大きな問題になっている。まるでゲーム感覚で楽しんでいたと言う。これも戦争の極限状況の為せる悪行なのか?正気ならとても考えらない様なことが平気で行なわれてしまう。

 ただこの映画を見ても期待したほどの感銘は受けなかったのは何故だろう?ドキュメンタリータッチで淡々と描かれてていたがそれだけではない。収容所送りにされそうになった時は家族と離されて1人だけ助かり、また地下組織の援助を受けてうまく逃げることができた。究極はナチス将校に発見されたのに通常考えられない様な奇跡で命を救われるなど、多くの幸運に恵まれている。また主人公の要領のよさが目立っている。それに命の恩人に対する扱いも気に入らない。ハッピーエンドが悪いとは言っていない。 しかしながら何故か全編通じて描き方が表面的に見えてしかたがない。極めて重いテーマ故難しいかもしれない。映画の限られた時間では原作者の意図を充分に伝えられないのかもしれない。やはり原作を読んでみることが必要であろう。

 ウワディスワフ・シュピルマンは1911年、ポーランド南部の街ソスノヴェッツで生まれた。ワルシャワのショパン音楽院でフランツ・リストの弟子ヨゼフ・スミドヴィッチに、そしてアレクサンデル・ミハウォフスキにも師事している。1931年ベルリンに留学しレオニード・クロイツァーに師事している。レオニード・クロイツァーの名をどこかで聞いたことがある方もいるだろう。数奇な運命を辿り現在も活躍中のピアニスト、フジ子・ヘミングが師事している。この頃シュピルマンはヴァイオリン協奏曲、ピアノ組曲など数多くのピアノ曲、管弦楽曲などをを作曲し、ポーランドでの人気を確立している。

 シュピルマンはワルシャワのポーランド国営ラジオ局で働く様になる。1939年9月ラジオ局でショパンのノクターンを生演奏していた・・・まさにその時(映画にも出てくるが)ドイツ空軍の爆撃が行なわれた。同年ナチス・ドイツがワルシャワへ侵攻、ユダヤ人弾圧政策はここでも徹底的に行なわれた。その後1945年ポーランドがソ連に解放されるまで、ゲットー(ユダヤ人居住区)への強制移住、強制労働、ホロコーストなど様々な地獄の苦しみを味わう。何度も絶体絶命の危機に陥ったが、その都度奇跡的に、本当に信じられぬほど奇跡的に死を免れることができた。1944年8月のワルシャワ蜂起でワルシャワは戦場と化し、シュピルマンは廃墟の中を転々とした。しかしながらついにドイツ軍の
ヴィルム・ホーゼンフェルト大尉に見つかる・・・ここで他のユダヤ人同様殺されていればこの物語は存在しない。

 ・・・が何故かホゼンフェルト大尉はシュピルマンを殺すことはしなかった。当時のドイツ軍の中にもまだ理性のある将校がいたということだろう。映画「シンドラーのリスト」で有名な実業家オスカー・シンドラーが、労働力の確保という名目で多くのユダヤ人を安全な収容所に移動させて救っている。またリトアニアの日本領事館の杉原千畝が本国の訓令に反して人道的立場からビザを発給し6000人のユダヤ人を救っている。正常な感覚の持ち主であれば当然の行いが、戦争という極限状況下では美談になる。大尉が1952年ソ連の捕虜収容所で死亡した為
、今となっては当時の彼の心境はわからない。

 ホゼンフェルト大尉はシュピルマンがピアニストであることを知ると、ピアノのある部屋へ連れて行き何か弾くことを要求する。シュピルマンはChopinの”バラード第1番”(私はここでChopinのノクターンを弾いたと思い込んでいた)を弾く。この様な異常な状況下でよくピアノ演奏ができたと思う。その演奏に感動したのか、大尉はシュピルマンを見逃すだけでなく食糧まで与えている。更にソ連が攻め込んで来てドイツ軍が敗走する時、寒さを凌ぐ為にとコートまで渡している(ドイツ兵と間違われて狙撃されるというおまけがついた)。
この大尉の存在がシュピルマンの”奇跡の生還”に多大な貢献したことは疑うべくもない。この映画の終わりの方で後日談としてシュピルマンが大尉の足跡を追っている場面があったが、あまりにもあっさりと終わってしまい拍子抜けさせられた。たしかに残虐非道の限りを尽くしたドイツ軍の将校故に必要以上に美化する必要はない。特に何かを期待したわけではないが、あまりにも素っ気ない描き方で”命の恩人”とも言うべき大尉に対してつれなく感じた。これではシュピルマンが冷淡な人間に見えてしまう。果たしてシュピルマン自身はどの様に思っていたのだろうか?原作を購入して確かめてみたい。

 1946年シュピルマンはこれらの体験を回想録として出版したが、その公平な筆致故当時の共産党政権から発禁処分を受けた。1945年音楽家としての活動を再開し、世界各地で2500回を超えるコンサートを行なっている。また作曲活動も活発でポーランド音楽界の発展に大きき寄与した。2000年7月、シュピルマンは88年の波瀾万丈の生涯を閉じた。1998年息子アンジェイが父の原稿を発見、ドイツで出版されると世界中で評判となる。日本においても2000年に出版されている

 
歴史は繰り返すと言うがまさにその通り、紀元前の時代から延々と人類は争いを続けている。宗教紛争、民族紛争などなど・・・そしてその度悲劇は繰り返されている。今の時代も世界の各地で悲惨な出来事が起きている。「〇〇は死ななきゃ直らない」・・・とは言うが、人類が滅びる様な事態になって初めてその愚かさに気がつくのだろうか?そうは思いたくないが・・・。
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