第56段 * 容認できぬ米軍の飛行訓練 ‐ 凄まじい轟音 生活環境の破壊行為 ‐ *
1月14日の朝日新聞に米軍の夜間飛行訓練(NLP)に関する記事が載っていた。
在日米軍は米空母キティホーク艦載機による夜間発着訓練(NLP)を18日から6日間、厚木基地で実施する」と防衛施設庁を通じ地元自治体に通告した。同庁によると米軍はスマトラ沖大地震の被災地支援のため急遽展開すると説明した。厚木基地でのNLPは昨年7月以来半年ぶり。
大和市などによると、NLPの通告はこれまで実施2、3週間前にあったが、今回は5日前と異例。13日、土屋侯保大和市長を訪ねた厚木基地司令官のリード・エクストロム大佐は「急遽出動命令があり、最近の状況と訓練の実施形態が異なることを理解してもらいたい」などと説明した。
土屋市長は13日、米軍に「救援を視野に入れた緊急の対応で状況は理解したいが、日常的な騒音被害にさらされている中、厚木基地で訓練が予定されていることは遺憾だ」と申し入れた。
この記事を読んで「またか!」と思わずにはいられない。昨年7月以来とあるが、そんなに間が開いた?と言うのが正直な感想・・・。何せNLPの通告が無くても、しょっちゅう米軍機の轟音が聞こえてくる。夜間発着訓練だけが強調されているので夜間の訓練のみかと思ってしまいそうだが実はそうではない。昼間でも凄まじい轟音が聞こえてくる。空を見上げると米軍機が車輪を出したまま低空を飛行している。明らかに昼間から厚木基地を航空母艦に見立てた発着訓練を行っている。半年ぶりと言われても全くそんな感じはしない。それは高い頻度で昼間の訓練が行われているから・・・。夜やらなければよいと言うものではない。
私の住む所は飛行訓練の直下ではないがコースの縁には近い。米軍機の飛び方によってはTVが聞こえないことがある。私の住んでいる所はまだまだ良い方なのだ。ある時相鉄線の大和駅構内で乗り換える為に電車を待っていた時、厚木基地に進入してくる飛行機を見た。ちょうど目の高さで巨大な飛行機が民家の屋根すれすれに着陸していくのが見えて恐ろしく感じた。もし何か事故があったらと思うと背筋が寒くなる。
今回の訓練は硫黄島では18〜23日の正午から午前3時までFA18スーパーホーネットなど4機種で行なう。厚木基地では18〜23日の午後6時から午後10時まで、米軍が”低騒音”とする早期警戒機「E2Cホークアイ」など2機種が行なう。”低騒音”と言ったところでそれは従来の凄まじい騒音を出す機種と比較しての話・・・別に画期的に静かになる訳ではない。結局基地周辺の住民が騒音に悩まされる状況は何ら変わりない。
厚木基地司令官によると”スマトラ島沖地震の被災地支援”の為に米空母キティホーク艦載機のNLPが必要だそうだが全く納得できない。どの様な関連性があると言うのか?米軍が単にNLPを正当化する為の方便としか思えない。何でも事前通告すれば許されると言うものではない。
現在の法制では「米軍機の訓練を中止して欲しい」と要望することくらいしかできない。今月末から本格的に受験シーズンが始まるのを前に中止して欲しいとの要望を相模原市長が米海軍厚木基地司令官と横浜防衛施設局長宛に出している。市民からも米軍機の騒音がひどく「病気療養中で耐えられない」とか「子供が驚いて泣き出した」などの苦情が市の基地対策課に多数寄せられている。米軍の何らかの事情により一方的に中止されたことはあるが、要望を聞き入れての中止など一度もない。今回も今まで同様無視されるだけ・・・。
2,3週間前の通告が通常で今回の5日前は異例だそうだが、そんな事はどうでもよい。日本の領土であるにもかかわらず、外国の飛行機が好き放題に轟音を撒き散らして飛び回っているのが問題なのだ。何故そんな無法な事が可能になるのか?日米安全保障条約の特別協定により米軍機は日本の空を届出なしに自由にどこでも飛行しても良いことになっていると聞く。全く由々しきことではないか。まさに治外法権と同じこと、幕末に幕府が結んだ不平等条約と何ら変わりはないではないか。
昨年8月には沖縄国際大学へ米軍嘉手納基地のヘリコプターが不時着事故した。校舎の一部を大破したが、この時は幸いにも怪我人や死者は出なかった。この時日米地位協定が日本の司法の捜査を阻んだ。何と日本の領土にもかかわらず米軍は事故現場周辺を立ち入り禁止にしてしまった。再三の日本側の立ち入り要請は完全に無視されてしまった。日本の主権はどこへ行ってしまったのか?事故現場は日本の領土なのだ。日本は米軍の占領地ではない。それにもかかわらず外国の軍隊が勝手に行動できるなんていったいどう言うことか!自国の権利を侵害されても何もできないとは何と国際法が強いことか!
事故機や事故機の破片など事故に関連する物証、更には立木、土、遺留品など全て米軍側がきれいさっぱり持ち去ってしまった。日本側による原因調査などは何もできなかった。後に米軍から”整備不良による事故”との発表があったが、どこまで日本側に事故の詳細や原因が明らかにされたかは疑わしい。この時は米軍はヘリコプターのパイロットなど乗員の名前を公表しなかった。米軍司令官が沖縄県知事へ謝罪表明したが、心がこもっていない形だけの謝罪にしかすぎない。誰も何にも責任をとっていないのでは・・・何を言っても誠意のかけらも感じられない。
1977年9月の横浜市緑区(現青葉区)で起きた厚木基地から発進した米軍偵察機ファントムの墜落事故を覚えている方も多いと思う。その当時私は小田急線相模大野駅の近くに住んでいた。厚木基地とはそんなに遠く離れていないので、もし自分の住んでいる地区で同じ様な事故が・・・と思うと底知れぬ恐怖を感じた記憶がある。
この事故は3人の犠牲者と1人の重傷者を出す大惨事となった。戦闘機が人家の密集しているところに墜落したのだからたまらない。子供2人は翌日亡くなり、子供達の母親は手術を繰り返したが薬石効無く1982年亡くなった。母親のお母さんは瀕死の重傷を負ったが長い治療の末奇跡的に一命をとり止めた。人家の多い所で訓練を行なうことは常にこの様な事故を引き起こす危険性をはらんでいる。現在は1977年当時よりも米軍機の基地周辺の訓練は数段激しくなっており、いつまた未曾有の大事故を引き起こすかもしれない。日本の政治家はどれほどこの危険な状況を認識しているのだろうか?たとえ認識はあっても国際関係と言う大所高所の見地?から容認しているのだろうか。
この時偵察機のパイロット2名は墜落直前にパラシュートで脱出、無人の機体はそのまま民家に突っ込んだ。パイロットは当然墜落して大惨事になる事は分かっていたはずだが、どれほど危機回避の努力をしたのだろうか?いずれにせよ”自分の命大事”と偵察機を放棄した責任は免れない。米軍の発表では事故原因は”機体の整備不良”とある。だがしかしここで日米地位協定が日本側の捜査に大きな壁として立ちはだかった。日本側はパイロット2名、及び整備士(氏名不詳)の事情聴取はできず全く何も手を出せなかった。また被害区域は米軍により封鎖され日本側は何も手を出せなかった。事故機は全て米軍側が撤収、その上きれいに整地して更地にした。つまり何の証拠も残さない為なのだ。その後被害者からパイロット、整備士などを刑事告発したが、当然の如く米軍から無視されどうにもならない。民事訴訟では日本政府に対して補償金支払いの判決が出た。しかしながら米軍の責任は何ら問う事ができなかった。パイロット2名の出廷は結局なかった。彼らは責任を感じていないのだろうか?
厚木の他横田、三沢、岩国基地などで行われている飛行訓練も許し難い。また四国地方の山間部で異常に低い高度で飛行訓練していたこともある。この時は乳牛が轟音に驚いて乳の出が悪くなったと言う。生産者にとっては死活問題になりかねないが、米軍はそんな事を全くに意に介さない。またイタリアでの出来事だが米軍機がふざけてゴンドラをからかっている飛行している内に、本当にケーブルを切断して多数の死者を出したことがある。この時米軍機の犯罪人どもがアメリカ本国の軍事法廷にかけられたが、被告人全員無罪となったと記憶している。一般常識では信じ難い判決・・・これが米軍の常識なのか?
今までいくつかの事例を挙げてきたが、どれもこれも『治外法権』と言ってもよいだろう。全くふざけた話ばかりで激しい憤りを感じる。米軍の相手国の主権を踏みにじる悪行の数々は、人の面を被った”鬼畜”のなせる業そのものでしかない。平気で主権を踏みにじられている状況で、日本とアメリカは真に対等と言えるのだろうか?かつての東西冷戦構造が崩れた現在、アメリカは”世界の警察”と豪語している。アメリカは自由主義国家の旗頭を自認しているが、相手国の主権を踏みにじる如き行為は断じて許し難い。
日本の多くの政治家は「アメリカが日本を守ってくれている」と言っている。アメリカの傘の下にあるのだからアメリカの言う事は何でも”ハイ”と言って日本は従わなければならないのか?どうも日本の外交に自主性が感じられずアメリカ追随にしか思えないのはそのあたりから来ているのだろう。日本は常任理事国入りを目指している。アメリカに対しても是々非々の態度ではっきりと自らの意思を示すことができないのであれば、日本が常任理事国となったとしても全く無意味な存在になってしまう。日本はアメリカになめられていると感ずるのは私だけだろうか?
ところで厚木基地と聞いて知らない人は厚木市にあると思うのではないだろうか?事実私も神奈川県に住むまではそう思っていた。実際は大和市と綾瀬市にまたがる広大な区域にあり、住所は「神奈川県綾瀬市無番地」。それでは何故旧日本軍が厚木基地と命名したのだろうか?
1)古くから宿場町、生産物の交易の場として厚木町の名が全国的に知名度が高かった。
2)基地の所在地を敵が間違い易い様に紛らわしい名前にした。
3)「大和基地」と命名すると、戦艦大和や奈良の大和と混同してしまう。
命名の由来についてこの他にも諸説ある。厚木基地と聞いて厚木市にあると勘違いする方が多いとことから、1)が有力とされているが確証はない。今となっては未来永劫明らかにならないと思われる。