第58段 * 公務員管理職の外国籍問題 *
東京都職員で保健師の在日韓国人女性が、日本国籍がないことを理由に東京都に管理職試験を拒否された。10年の裁判を経て、1月26日最高裁で判決があり原告の敗訴が確定した。朝日新聞には次の記事が掲載された。
日本国籍がないことを理由に東京都が管理職試験の受験を拒否したことが憲法の保障した法の下の平等に違反するかどうかが争われた裁判の上告審で、最高裁大法廷(裁判長・町田顕長官)は26日、「重要な決定権を持つ管理職への外国人の就任は日本の法体系の下で想定されておらず、憲法に反しない」との初判断を示した。その上で、都に40万円の支払いを命じた二審判決を破棄し、原告の請求を退ける逆転判決を言い渡した。原告側の敗訴が確定した。
法律では外国籍の人が地方公務員になれるかどうかの規定はなく、どの範囲まで公務につけるかが裁判の争点となった。東京都の対応について、最高裁大法廷15人の裁判官の内、2人は違憲、13人が違憲ではないとの見解を示した。
違憲ではないとした裁判官は「職員として採用した外国人を国籍を理由として勤務条件で差別をしてはならないが、合理的な理由があれば日本人と異なる扱いをしても憲法には違反しない」としている。多数意見は朝日新聞によると以下の通り。
今回の受験拒否のケースが合理的かどうかを判断するうえで多数意見は、地方公務員の中でも住民の権利義務を決めたり、重要な政策に関する決定をしたりするような仕事をする幹部職員を「公権力行使等地方公務員」と分類。これについて「国民主権の原理から、外国人の就任は想定されていない」という初めての判断を示した。
その上で、「こうした幹部職員になるために必要な経験を積ませることを目的とした管理職の任用制度を自治体が採用している場合、外国籍公務員を登用しないようにしたとしても合理的な区別であり、憲法が保障した法の下の平等には違反しない」と結論づけた。
一方違憲との見解を示した裁判官は「外国籍の職員から管理職への受験機会を一律に奪うのは違憲」としている。少数意見は朝日新聞によると以下の通り。
T裁判官は「都の職員に日本国籍を要件とする職があるとしても、一律に外国人を排除するのは相当でなく違憲だ」と反対意見を表明。I裁判官も「在日韓国・朝鮮人ら特別永住者は地方自治の担い手で、自己実現の機会を求めたいという意思は十分に尊重されるべきだ。権利制限にはより厳格であるべきなのに、今回の受験拒否は合理的な範囲を超えたもので法の下の平等に反する」と述べた。
今回初めて『公権力行使等公務員』との分類が登場した。平たく言えば政策などの重要な意思決定を行なう立場にある公務員と言える。私は「国家であれ地方自治体であれ、日本国内で日本に関する意思決定を担う立場にある人は日本国籍が最低要件」と考える。国際化が進む時代に逆行しているとの意見もあるが、”国際化”の意味合いがこの場合はあてはまらないのではないか?「立法」、「司法」、「行政」のいわゆる三権は国家の中枢を果たす重要なFactor・・・国家の主権の根幹でありここに関わる人の責任は極めて重い。たとえ日本生まれで日本育ちであっても、日本国籍がなければ権力の行使に関わるべきではない。何故ならそこには「日本に対して責任を持って意思決定」と言う重い課題が厳然として存在する。
日本生まれの日本育ち、あるいは長期に亘り日本で生活し実態は日本人と変わらない生活を送っている方は多い。主義主張、民族意識、過去の日本への抵抗などで日本国籍を取得していない方もいる。これに対して異論を唱えているのではない。しかしながらもし日本の行政などで意思決定を行なう立場になろうとするのであれば、最低要件として『日本国籍』は当然であろう。でなければ三権に権力の行使を委ねる者としては安心できない。今回の在日韓国人女性の様に国が国内に在留する法的地位を与えている特別永住者とて例外ではない。
私は形式主義者ではないが、形も時として重要な意味を持つ。この場合『日本国籍』が日本の為に尽すことの一つの証となる。確信犯的に『日本国籍』を持っていないのであれば、日本に対して何か含むところがあるのではと疑われても仕方がない。「そんなことはない」と口で言われても俄かには信じられない。やはり形で示してもらわなければ、この場合は『日本国籍』と言う明確な形で示してもらわなければ素直には信じられない。”国際化”のこの時代に何事かと綺麗ごとを言う方もいる。その方々に問いたい。『国籍』とは何なのか?『国籍』とはそんなに軽いものなのか?『国籍』とは各人にとって重要なIdentityの一つ。たかが『国籍』、されど『国籍』、軽んじるのは許せない。
I裁判官は”法の下での平等に反する”との意見を述べている。”法の下の平等”とは言うが、無条件に全てが平等なのだろうか?憲法で保障する”法の下の平等”の適用範囲は無制限なのだろうか?例えば日本国内において日本国籍を有する者と無い者でも全て平等なのだろうか?無制限に平等とすれば逆に不平等と感じる面が出てくる。今回の最高裁判決は権利の制限を厳格に適用した看做せる。国籍の有無で受けるべき権利と果たすべき義務は当然のことながら異なる。それ故『日本国籍』の有無により権利の制限がなされるのは自然なことと考える。
今回の最高裁判決では外国籍の方の公務員採用を否定したものではない。私も”国際化”の時代であり良い人材は積極的に登用すべきと考える。厚生労働省は看護師など専門的/技術的分野で外国籍の労働者を登用する方向で検討している。また川崎市や神戸市など外国籍居住者が多い自治体では雇用を促進している。但し政策などの意思決定に直接関わる地位への登用には強い違和感を感じる。やはりきちんと一線を画すべきと考える。
人それぞれに考えがあり今回の最高裁判決に異論のある方もいるだろう。しかしながら法律での明確な定めがない現状での司法判断、言い換えれば今回の最高裁の判断が外国籍問題への一つの指針となる。しかるにこの問題の判断基準として厳然と存在する。
別な見方をすれば法律で明確な規定がないのはある意味立法の怠慢と言える。このまま放置すればまたいずれ別な形で訴訟が起き問題化することは必定。様々な意見があるからこそ幅広く関係者の意見を求めコンセンサスを得た上で法律として明文化する必要がある。どの様な結論が出るかは分からないが、いつまでも”日本的曖昧さ”では通用しない。