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第70段   * 1945年3月東京大空襲 − 60年前の米軍のおぞましい悪行 −

  第二次世界大戦で日本軍が犯した罪状は明らかで否定する余地はない。東京裁判(極東国際軍事裁判)で連合国側は戦勝国として敗戦国日本を裁いた。ドイツのニュルンベルク裁判同様、東京裁判も戦勝国の論理との批判はあるがここでは論ずるつもりはない。私個人としては”戦争”そのものが犯罪であり、戦争に加担した国は全てその責任を問われるべきと考える。戦争に大義(正義)なんぞどこにもない。苦しむのは一般民衆、それぞれの国の勝手な理屈で混乱を巻き起こしている。戦勝国も敗戦国も同様に重大な罪を犯している。

 60年前
1945年3月10日未明の米軍による東京大空襲も明らかな”戦争犯罪”と言える。初めから米軍は一般民衆をTargetにして、焼夷弾による市街地焦土作戦を行ない日本国民の戦意喪失を狙っていた。当時の東京は木造住宅が密集しており、焼夷弾の威力は凄まじく後の原爆投下に匹敵する悲惨な結果を招いた。東京裁判は戦勝国による裁判であった為米軍の責任は問われず、また日本政府もサンフランシスコ平和条約により賠償請求権を放棄している。

 私が新卒で入社した頃、社宅の管理人のおじさんから3月10日の東京大空襲の悲惨さを何度も聞いた。実際に体験した人でないと語れない恐ろしい話だった。東京大空襲当時管理人のおじさんは小学生で深川に住んでいて、その晩火の海の中を必死に逃げ惑った。翌朝道路に転がる焼死体や川に浮かぶ死体を目にし、今でもその悲惨な様子が脳裏に浮かぶと言っていた。

 3月10日午前0時8分、マリアナ諸島を発進したB29爆撃機344機は東京の下町に高度2000mの低空で侵入し「夜間低高度無差別爆撃」を開始した。米軍は日本の木造家屋用にM69焼夷弾を開発している。筒の内部にグリセリンなどをガソリンと混合してゼリー状にした油脂が詰められていて、木造の家屋を焼き払うのに適していた。このM69焼夷弾が38本束ねられた集束焼夷弾が地上近くでばらばらに落下し、その衝撃により爆発し高温の油脂が飛び散り燃え上がる。

 油脂焼夷弾、黄燐焼夷弾、エレクトロン(高温・発火)焼夷弾
による絨毯爆撃の威力は凄まじく、現在の墨田、江東、台東区などにあたる当時の本所、深川、城東、浅草などの各区で火災が発生した。真夜中の街を炎が渦を巻いて走り、その明るさはさながら真昼の様だったとのこと。遠く離れた神奈川県からも真っ赤な空が見えたと言う。更に逃げ惑う一般市民には何とおぞましいことに超低空のB29から機銃掃射の銃弾が浴びせられた。米軍は”ゲーム感覚”で行なっていたのではないか?正常な感覚があればとてもできる所業ではない。戦争による”狂気”のなせる悪行なのか・・・。

 約2時間半の空爆で投下した焼夷弾は実に約2000t、折からの風速30m/秒の強い北西風に煽られて瞬く間に燃え広がり焼失面積は約40Kmに及んだ。
死者は一般民衆を中心に約10万人、負傷者約4万人、被災家屋約27万戸の未曾有の大惨事になった。Europe最大規模の米英軍によるドレスデン空爆を上回る犠牲者を出している。

 以降米軍は3月12日に名古屋、13,14日には大阪など次々と焼夷弾による無差別爆撃を繰り返して行く。終戦までに150程の都市がtargetになり、犠牲者は50万人にも及んだ。
この様な民間人を巻き込んだ無差別爆撃は明らかに国際法違反、戦争犯罪以外の何者でもない。理屈をつけて正当化しようとしてもそれは単なる詭弁に過ぎない。

 
東京大空襲の指揮をとった米軍のカーチス・ルメイ米司令官後日回想録の中で、明らかに非戦闘員を狙ったとの批判に対し次の様に述べている。

 
私は日本の民間人を殺したのではなく軍需工場を破壊した。日本の都市の民家は全て軍需工場で、ある家ではボルト、隣の家ではナット、向かいの家ではワッシャーを作っていた。全ての民家が我々を攻撃する為の武器生産工場になっていた。それを破壊して何が悪い。

 
”大量殺戮者”カーチス・ルメイ元司令官の何とも呆れた開き直りとしか言い様がない。良心のかけらすらない様にも見える。”鬼畜”と蔑まれても仕方がない。「もし我々が負けていたら、私は戦争犯罪人として裁かれていただろう。幸いにも私は勝者の方に属していた。」とも述懐している。強がりは言ってはいるが、心の奥底では自らの犯した所業の恐ろしさに苛まれていたのではないか?敗戦国の司令官であれば間違いなくA級戦犯として死刑になったはず・・・。

 またカーチス・ルメイ司令官の下で焼夷弾爆撃作戦計画立案に当たったロバート・マクナマラ元国防長官も同様な述懐をしている。”勝てば官軍”で戦勝国の行為が全て正当で、”負ければ賊軍”で敗戦国の行為が全て不当では話がおかしい。残念ながら
世の古今東西を問わず勝者の論理がまかり通っている。今も”世界の警察”を自認し世界のどこにでもちょっかいを出している国がある。あたかも”力が正義”かの如く・・・。

 1992年ドレスデン爆撃を指揮したアーサー・ハリス将軍の銅像がロンドンの中心部に建てられたが、ドイツ政府はイギリスに対し強く抗議した。ドイツ国民の感情を逆撫でするような行為は非難されて当然・・・
イギリスはいつまでも戦勝国感覚を持っているからこの様な非常識な行為を平気で行なったのだろう。

 一方、
1964年日本政府は逆に日本国民の感情を逆撫でする様な非常識な行為を行なっている。こともあろうに東京大空襲の張本人カーチス・ルメイ元司令官に、”航空自衛隊の育成に貢献”として勲一等旭日大綬章を贈呈している。何で日本の民間人を大量殺戮した人間に恩賞を与えなければならないのか?この時国内で大きな批判が起き国会でも議論されている。ちなみに勲章を与えた時の首相はノーベル平和賞受賞者佐藤栄作氏。佐藤氏がノーベル平和賞?当時何故受賞したのか分からなかったし今も全く理解できない。

 
日本政府は戦勝国アメリカに平伏して過去の米軍の非道な行為に目をつぶり、いかにアメリカに媚を売ってご機嫌取りをしていたか良くわかる出来事と言える。原爆投下や無差別爆撃と言う非人道的行為を黙って許しておいて、何でもアメリカの言う通り、ご説ごもっともとの日本政府の姿勢は今も昔も変わらない。むしろ以前よりもっとアメリカべったりになっているのではないか?

 
戦後60年も経過すると戦争の悲惨さを伝える活動が徐々に鈍くなり風化が進んでいる。原爆投下に匹敵する戦争被害を出しているにも関わらず、当時の様子を記録に留める為の行政の取り組みは相変らず低調なまま。東京都慰霊協会主催の慰霊大法要など都内各地で犠牲者を悼む法要や平和を祈る催しが開かれてはいる。東京都は1990年に3月10日を「平和の日」に制定したが、平和祈念館建設は凍結されたままで見通しは立っていない。行政レベルで悲惨な戦争体験を後世にきちんと伝えようとする動きが鈍く理解に苦しむ。「このままでは悲惨な歴史を後世に伝えられない」との想いで、空襲体験者や遺族などによる民間レベルの活動が始まっているのがせめてもの救いと言える。

 落語家の故林家三平さんの夫人でエッセイストの海老名香葉子さんは、東京大空襲当時家族と離れただ一人静岡県に疎開していた
海老名さんは本所(現墨田区)に住んでいた両親など家族6人を全て東京大空襲で失い、戦災孤児になった辛い体験をしている。

 海老名さんが「若い世代にも東京大空襲を語り継ぐきっかけとしたい」との願いを込めて建立した犠牲者の慰霊碑が完成し、3月9日上野寛永寺で除幕式があった。土地は寛永寺が無償で提供したと言う。また同日上野公園に平和を祈念する母子像も建立し除幕式があった。完成後東京都に寄贈されることになっている。

 いずれも海老名さんがイベントで寄金を募るなどして費用を捻出している。
戦争に全てを奪われ戦災孤児になった海老名さんの「2度とこの様な悲劇を繰り返して欲しくない」との願いが込められている。我々は「平和への願い」を大切に守っていかなければならない
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